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2006年11月

2006年11月29日 (水)

きちんとした言葉

堀江氏の裁判のニュースを見るたびに思うのですが、彼はきちんとした日本語を学んだことがあるのだろうかと思います。

裁判くらいきちんとした言葉を使うと思っていたのですが、見事に期待を裏切ってくれました。人をバカにするような言動。馴れ馴れしい言葉。非常に不快ですね。思えば、彼がメディアに登場した時から、私は彼を信用できませんでした。時代の寵児のように政治家までもが彼を担ぎあげましたが、私に言わせれば「あなた達、人を見る目がなさすぎ」。頭を使い仕事をする人間は、物事の結果だけでなく、普段の服装や言動にも意識的です。その意味で彼の行動は、欲望をむきだしにした「獣」そのものです。

堀江氏に限らず、最近、言葉の乱れが非常に気になります。勧誘でかかってくる電話、職場での会話など、敬語や丁寧語がきちんと使えてない人が多いです。言葉をきちんと使えないといらないトラブルを抱えたり、誤解を招いたりすることになります。何よりも、人として信用してもらえないので仕事を任せてもらえません。敬語は堅苦しいからと、崩した言葉を使い親近感を装うと、人格まで疑われることになります。

「親しき仲にも礼儀あり」

人間関係は、ちょっとした緊張関係でもあります。これが崩れると馴れ合いになることをお忘れなく。そして、きちんとした言葉は、人に自分の意図や主張を明確に伝える上でも大切です。何より、きれいな日本語は聞いていて心地よいですよね。きれいな日本語を心がけたいものです。

2006年11月27日 (月)

弟の命日

今日は、弟の16回目の命日でした。

高校以降に知り合った人は、僕に弟がいたことを知っている人はあまりいません。僕が中学2年生の時のあまりにも強烈な出来事だったので、人に話すことができませんでした。この頃のことも最近まであまり思い出すことができませんでした。記憶が薄れているのではなく、無意識のうちに思い出すのを拒んでいたのかもしれません。やっと、最近になって弟がいたことを人に話せるようになってきました。僕と違い、勉強も運動もいつも一番で、人にも好かれる優秀な奴でした。9歳というあまりにも早い、死でした。

入院から丁度、1ヶ月で亡くなりました。難病にかかっていたのですが、決して死ぬような病気ではなく、治療に使っていた薬が人間の免疫力を弱める厄介なものでしたので、外で関係ない病気をもらってしまったようでした。

僕自身も大学浪人中に病気であることがわかり、気づかなければ死んでいたかもしれない身だったので、今の子供たちが簡単に他人も自身も死へ追いやる行動を聞くと、苦々しく思います。勉強を教える前に、「生きること」、そして「死」というものがどういうことなのかきっちり、叩き込まないといけませんね。

2006年11月26日 (日)

本当に欲しいもの

前に読んだ、村上龍著「希望の国のエクソダス」にこういう一文があります。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

バブル景気前だったら、たとえ、大人でも子供でも、妄想だったとしても10年後の自分というのを思い描けた様な気がします。将来は~になってるだとか、郊外に一戸建てを建てて家族と暮らすだとか、身の丈に合わない夢でも現実的な夢でもみんな、持っていたと思います。皆さん、自分の10年後、想像できますか?

なぜ、こんなことを急に書いたかというと、先日、いつも通りに帰る途中にヨドバシカメラによったのですが、店をぶらついていても本当に欲しいものがないなあと単純に思っただけなのです。(このデジカメいいなあとか、PS3ってどうなのか見てみたいなというのはあるのですが、是が非でもほしいというのがないんですよね)物質的なものだけでなく、自分の生活を省みても、例えば、何か体を動かしたいけどお金も時間の制約もあってスポーツができない。仕事でももっと良い物をつくりたいなあと思っても、自分に権限がなかったり、これまたお金がなかったりと実現しないことが多い。今が辛くてもそれが未来に繋がるのなら我慢もできますが、果たしてどうなんでしょう。

最近は、お金を出すと、だいたいのものは手に入ってしまうから物のありがたみがなくなってしまい、本当に欲しいものが見当たらなくなってしまったのでしょうか?

私は、10年後の未来を思い描けます!(現実にできるかどうかは私の努力と運しだいですが…)私は色々なことが今まであって、できないことが多くなったしまったけど、自分達の子供たちには、少なくとも自分の立ち位置を選べる機会をつくってあげたいなと思う今日この頃です。(その前に、彼女でも見つけろという突っ込みが聞こえてきそうですが…)

どうも今日はまとまりのない文章ですみません。

2006年11月23日 (木)

プラネテス

講談社刊、幸村誠「プラネテス 全4巻」。週刊モーニングで不定期連載していた漫画です。

舞台は今から70年後の未来。主人公のハチマキは、デブリ(宇宙に漂うゴミ)を拾う仕事に就いている一介の宇宙船員。開発中の木星往還船に触れたことがきっかけでこの船の乗組員になることを目指します。主人公の存在を食うくらいの個性的な登場人物たちのおかげで非常に一話一話が濃いです。(ちなみにこの作者、連載ものなのに不定期連載でした。この漫画を見ればわかりますがそうなるのも納得できるくらいの内容です。)序盤のハチマキは、何に対しても情熱を持てなくなっていましたが、木星往還船との出会いが彼を変えます。「上等だ。何もかも思い通りにしてやるぜェ。勝つのはオレだ。」「わがままになるのが怖いヤツに宇宙は拓けねえさ。」誰をさしおいても自分がという自己中心人間に豹変していきます。目的達成のサイボーグになっていったハチマキは、タナベという女性に出会うことで悩み、苦しみ、感情をもった人間に戻っていきます。そして物語の最後は、「愛し合うことことだけは どうしてもやめられないんだ」という言葉で締められます。

この漫画は「どんなに身勝手に振舞っても、人と人との繋がりの大切さを忘れてはいけないこと」、「諦めない、我慢強さの大切さ」を教えてくれた、僕にとってのバイブルです。

この漫画で好きな話を二つ。1巻の4話「ロケットのある風景」。ハチマキの弟の話です。宇宙船技師である父や宇宙船員である兄に反発し、ロケットの開発者を目指し、日々、ロケットをつくり続けています。兄にはチビチビとバカにされ失敗続きでしたがある人物との出会いによりはじめて、ロケットの発射に成功します。この話の最後は折ってあった学生服の袖が、すっと伸びて「なあに、すぐに追いつくさ」と締められます。

二つ目は、4巻の24話「吼える犬」。ハチマキの同僚であった女性パイロットの話。数話続いた、この女性パイロットのエピソードの最後にあたります。ある事件をきっかけとした息子の反発に、かつての自分の姿を重ねていきます。「今もあなたは大人の心と一緒に 子供の心を持ち続けていますか? 私は…」という言葉で締めくくられます。このエピソードでは、子犬用の首輪をした野良犬が登場します。この犬は、首が絞められ鳴くことができません。女性パイロットが首輪をはずしてやると、とても大きな声で鳴きます。このエピソードを象徴している場面でとても印象的でした。

ちなみに、2年前にアニメ化もされています。こちらの方はすでにDVDにもなっているのでレンタルショップにもあるはずです。漫画よりもハードルが下げられた表現になっています。主人公のハチマキもサラリーマンの設定になっているので漫画よりも、普通の人ととしてのイメージが強くなっています。(漫画の方はどちらかというと人間離れしてます。)

プラネテスは、登場人物たちの言葉が非常に重く、心に響きます。このブログで興味の持った方は、是非、ご一読を!

逆境にあること

建築の世界では与条件(敷地の状況やお客さんの経済状況等)が難しいものの方が良い建築ができると言われています。それは、なぜか。経済的に裕福であれば、何も悩むことなく様々な材料を使うことができるし、建築の性能的にも十分なものができます。逆に経済的に苦しければ、必要のないものを切りすててできるだけシンプルな空間にしようと考えます。また、建築の性能も満足させなければならないので安い材料をつかっても問題がおこらないように頭をひねります。だから、条件が厳しい方が良い建築ができるのです。(箱物建築にありがちな豪華主義は、利用者よりも建築主の要望でできているため無駄が多く、使われない空間が多くなります。結局、建築そのものも使われなくなるので箱物建築と揶揄されるのです。)

仕事でも生活の上でも、「~がないからできない」、「~と同じではないからできるはずがない」と話す人が多いと思います。できない理由を探すのは簡単です。それをどうしたらできるか考える視点を持ちたいものですね。最近、失敗する事を極端に恐れたり、些細なミスを突いたり、成果を早く求める傾向があると思います。人間でも、物でも、社会でも良い物をつくりだすには、考えて、実践して、反省してまた考えて、時間がかかるものです。自分にも他人にもあたたかく見守る心の余裕ももちたいですね。

「失敗は成功の母なり」。逆境にあって、頭を使うからこそ人間は進歩するのだろうな。

小笠原、お前もか

小笠原とは、当然、ファイターズの北のサムライのことです。

どうやら、巨人移籍が決定的になったようです。FA権を行使するのが選手として当然の権利であるし、彼の場合は金銭面というよりは、家族の問題が大きいと言われています。その意味では、大金に目のくらんだ選手とは違うのでしょうが、移籍先があの巨人ではあまりいい気分はしませんね。巨人には他球団で活躍した選手を潰す悪癖があるので、小笠原もその毒牙にかからないことを祈るばかりです。広沢、清原、江藤、小久保(晴れて古巣に戻れましたが)他多数の二の舞にだけはならないと良いのですが…。

それにしても、「小笠原、お前もか!」

2006年11月20日 (月)

気づき

資格学校に行きはじめて、日曜日の朝は、いつもより早く起きるようになったせいか、週はじめは、頭がぼーっとしています。

さて、今日は「気づき」の話です。

なんのことやらさっぱり分からないですね。身の回りの観察と考えると分かりやすいと思います。私が学生時代、ポートフォリオ(自分の作品集)をもってあちこちの設計事務所にインタビュー(自分の作品の批評を受けることと事務所の見学)して歩いた時によく聞いた話です。建築家の資質として必要なことは、普段の生活、建築の建つ敷地の周辺の状況、お施主(お客)さんの趣向などからどういったことに気づけるかということだそうです。バブルの時にすっかり建築家のイメージが誤解されて一般の人に広がってしまったため、奇抜なデザインをする人種だと思われていますが、違います。(中には天才的な表現をできる人もいますが、そのような人はごく少数です。)

建築家のもつ気づきとは、人より鋭い観察眼をもつことです。普段の生活の中では、忘れられていることから建築をつくるうえでのアイディアをすくいあげていきます。例えば、空間を無駄なく使う時に発揮されます。個室をつくると個人の場ができるのですが、部屋が狭くなったり閉鎖的になったりとあまり空間をうまく使えていないことが多いように思います。なぜ、そうなるのか色々な家を観察してみると個室には個人の持ち物が増えてオーバーフローしたり、部屋のある場所によって日当たりや室内気温に違いがでることに気づきます。この観察結果を建築づくりに生かしていくのが建築家です。

別に気づきは建築家だけでなく、仕事をしていく上で必要なことです。この人、次にどういう行動取るかなというのは普段から観察していると気づくことです。人間、歳を重ねていくと知識が増えるので、知的な刺激が減っていくと言われています。そうなると少しの変化、差異に気づかなくなるものです。たまには、車から降りて森の中を散策して、季節の移り変わりを観察し、「気づき」の能力を磨くのも良いものです。私は、船や飛行機に何時間乗っていても外が見える限りは飽きません。常に小さな気づきを楽しんでいるからです。(そういうこともあって、昔から好奇心が旺盛だったせいか、よく落ち着きがないと叱られていました。)

2006年11月19日 (日)

世代間論争

前々回の続きです。

働くまで、世代間による考えの違いが仕事に影響を及ぼすとは、考えたこともありませんでした。しかし、実際、色々な世代のいる大きな組織で働いていると世代(正確に言うと生きてきた時代の違いによる背景)の違いでしか説明できないことが多いと思います。

今回は、自分が違和感を強く感じる40歳前後の人たちに焦点をあてて考えたいと思います。(あくまでも、私個人の主観なので、反論などの意見があれば、遠慮なく書き込んでください。もちろんこの世代のすべてがそうだとは考えていません。)

この世代の特徴として、

①自分と同じ考えもしくは趣味をもつ人間としか話したがらない。              ②人の話を聞かない。(自分の理解できないことに対して根気よく耳を傾けない。)    ③自分もしくは自分と親しい者を除く他人を見下す                         ④他人の心の機微に気づけない(場の空気を読むこととは違います) 

が、あげられると思います。 なぜそうなるのか。『他者軽視に基づく仮想的有能感が生じる背景には「希薄化する人間関係」が存在する。簡単に言えば、人は親しい人間関係を喪失し、孤立化すればするほど、外面的には傍若無人な他人軽視的行動をとるようになる。つまり、現代の希薄化した人間関係においては、周りが支えてくれるという認識を欠くことになり、他者をむしろ脅威と見なすために、背伸びをして弱い自分を防衛しようとするのである。』(講談社現代新書、速見敏彦著「他人を見下す若者たち」より)ここで書かれているように、社会の中で基本的な事である「人間関係を築くこと」がとても下手だからだと考えられます。その影響が現在、この世代の子供たちにも波及し、イジメが社会問題になっているのでしょう。(親ができないものを簡単には克服できないでしょうね)

では、我々がこの世代に対処するにはどうしたらよいのか。耳を傾けないのですから、とても難しい話です。まずは、強制的に関係をつくるために彼らの耳心地の良い話をしながら根気よく話すしかないというのが私の結論です。(私の好きな漫画に「プラネテス」というのがあるのですが、喧嘩の仲裁をしようとした主人公が、お前は関係ないのだから黙っていろと言われたシーンがありました。その主人公は、殴りあおうとした二人の間に入り、二人のパンチを受けた後、ほら関係あるだろうとその場の雰囲気を和ませました。ちょっとちがいますが、そんなのが理想ですね。この漫画の話も追々。)まさに「実現力」です。(しかし、年下である我々がここまで譲歩しなければならないのかと思うと情けないです。)その子供たちに対しても、他人の子供だからと目を背けずに悪いことに対しては悪いと毅然とした態度で望まなければなりませんね。社会つまり人間関係を築けることが人間なのですから、他人の子供でも矯正しなければというのが私の考えです。

ちょっと堅い話になりましたが、意見を頂ければ幸いです。(本業の建築の話がでてませんね。)                         

2006年11月18日 (土)

紙吹雪舞う

ちょっと、ブレイク。

ファイターズの優勝パレードを見に行ってきました。

行きに乗った列車は、乗車率は100%を超えているだろうというような、混雑具合。札幌駅に着けば、外に出るのに時間がかかるほどの込み具合。

職場に行くと上からまくための紙を切っており、手伝わされてしまいました。職場が駅前通りに面しているので、パレードを上から見ることができました。Img_0749

選手の乗ったバスが近づくと物凄いが歓声が聞こえました。地響きかと思うくらいです。何も見えなくなるくらいの紙吹雪が舞い、まるでニューヨークのヤンキースのパレードのようでした。バスの写っている写真、茶色のコートを着Img_0744ているのが新庄、半袖でがんばっているのが森本です。

パレードの後、これまた凄い量の紙くずが残りました。さすがにボランティアだけで処理するのは大変そうでした。観客の人たちも手伝って紙吹雪を片付けていました。最後には春先によく見る、清掃車が現れて一気に片付けて完了。それでも大通西4丁目付近の道路が復旧したのは大幅に遅れ、2時間近く。14:00でした。(窓を開けていたおかげで、外に舞っていた紙吹雪が中にも入ってきて私のデスク周りも紙だらけ。こちらも復旧するのに時間がかかりました。ついでにいうと、私のデスク周りで見学するためにデスクを動かしたのでめちゃくちゃになりました。でも、後片付けは一人で。みんな冷たいよな。)来年も優勝パレードが見たいですね。

2006年11月17日 (金)

イジメに思うこと

ちょっとかたい話。

個々の状況があることなので、必ずしもこうだということは言えないのですが、今の子供は少し他人を頼りすぎているのではと思います。一連の文科省に送られる自殺予告の手紙の多さは異常です。彼らはイジメを回避するのにどこまで努力したのだろうか。

友人に相談する、先生に相談する、親に相談する、周囲の大人に相談する。学校に行かないという自己防衛策を講じる。一人ずつ呼び出して各個撃破する。闇討ちする。度が過ぎている場合(暴力など)警察に告発する。色々な方法を試した上で、止むに止まれず大臣に直訴というのなら理解できますが、自分が努力することなく現状から逃げるため他人を頼るのは間違いです。人間は一人では生きていけないのだから、自分以外の他人と何らかの関係を持つのは当然です。その中では色々な葛藤があるでしょう。子供時代からこの葛藤に慣れていかないと人間関係の構築できない大人になってしまいます。そういう意味では大人が注意深く子供たちを見守っている(大人がすぐに手を貸してはいけません)限り、陰湿すぎないイジメは悪ではないと考えます。

ただ、子供たちの置かれている状況は、我々が子供だったときよりも苛酷であるのも事実でしょう。ゆとり教育でまともな教育がされない学校をバカにする親の下に育ち、それでも良い学校に行くために良い成績を取ることを義務付けられ塾に行かされるなど常に大人達のプレッシャーを受けています。そのプレッシャから逃れる、はけ口を求めるのは当然に思えます。現在、多くの場合、そのはけ口として、自分より劣っている者を虐めているのだと私は認識しています。

そして、この小学生や中学生の親達つまり40歳前後のいわゆるバブル世代といわれる大人たちに問題があるのではと、私は考えています。この続きは、次回。

2006年11月15日 (水)

目につく奴

今日はダブルヘッダーです。

行き帰りの電車で本を読むのですが、今日の帰りは何か左の方で動きがあるのを感じました。気になったので、見ると50歳近くの男性が前後に揺れています。居眠りしている様子はありません。前後に揺れたと思うと、左右に揺れ、つり革を持ち替えたりと落ち着かない様子。本人には普通のことなのでしょうが、隣にいる私はたいへん、迷惑です。

「お前は起き上がりこぶしか。いい加減、とまらねぇ~と縛るぞ。(という気分でした)」

人の癖にケチをつけるつもりはないのですが、なんか目について不快な思いをさせる人っていますよね。ココリコミラクルでも田中が“目につく奴”を演じてましたね。(あれぐらいおもしろいと逆に良いですけど)

モノクロな世界

白黒写真やモノクロ映画って、なんかいいですよねというお話。

職場の人が、「この写真集、白黒でなんだか面白くないんだよね。カラーだったら良かったのに」と話しかけてきました。でも、白黒写真って本当の色が分からないだけに想像力をかきたてるので、僕は好きなんだよなあと心の中でつぶやいてました。

ちょっと、理屈っぽいですが、なぜ白黒写真(モノクロ映画)が良いのか、考えてみました。それは、本当のことがわからないからではないでしょうか。写真(映画)であれば色、無声映画であれば音。本当のことが分からないと勝手な想像ができて面白いですよね。(逆に本当のことを知ってしまったらがっかりすることもあるけど…。誰もがサンタクロースを信じていた時期があるように)それだけに恐怖心を抱かせたり、心に響くのもカラーよりモノクロの方だと思います。スピルバーグ監督の名作「シンドラーのリスト」でも、全編モノクロで唯一ユダヤ人の女の子のコートだけが、赤で象徴的に表現されています。悲しさや怒りといったものを強く訴えかけていたように思います。

先日、遊びの話もしましたが、何か余地や余白みたいなものがあるといいなあと思う、今日この頃です。

2006年11月12日 (日)

父親たちの星条旗

昨日、映画をみてきたので、久々に映画のプレビューです。

前に続き、戦争映画です。クリント・イーストウッドの監督作品。硫黄島の戦い2部作の前編。アメリカ側の視点から描かれています。歴史の教科書などにも載っている有名な写真にまつわる話です。どこかで一度は見たことがあると思います。岩山の上に大きな星条旗を掲げる写真です。

この写真には6人の兵士が写っているのですが、この後、硫黄島で3人が亡くなっています。残った3人はアメリカ本国に送られ、戦費調達のためのプロパガンダ(政治宣伝)に利用されていくようになります。当人達の思いは無視され、英雄にまつりあげられていきます。まだ、前線では彼らの仲間達が死の恐怖におびえながら勇敢に戦っている事を思うと、その格差に悩んでいきます。硫黄島の戦い、戦費調達ツアー、戦後。何気なく撮影された写真が大きな意味を持ち、一兵士たちの人生をどんどん狂わせていく。地獄から強制的に引き戻され、張りぼてでできた楽園に連れて行かれる。でもまた、死んでいった者への罪悪感と戦後も蘇る戦場での死の恐怖体験が彼らを苦しめていくのです。生きることに必死である戦場の様子と華やかだけど空虚感の漂っている戦費調達ツアーが対比的に描かれています。

映像的には、戦場のシーンで日本軍がアメリカ軍への攻撃を息を潜めて待っている様子が印象的でした。とても緊迫している様子が画面から伝わってきました。また、勇敢な日本兵が暗闇でどこからともなく現れて、アメリカ軍の兵士に襲い掛かる様子はとても怖かったです。スピルバーグのプライベートライアンもそうでしたが、戦闘の様子がとてもリアルです。気の弱い人は、この映画をみると夜、寝られなくなると思うのでご注意を。

最後にですが、戦時中にありながら映画の中で描かれるアメリカの一般家庭には非常に物が溢れていました。その日、食べるものにも困っていた日本とはまったく違います。(あの当時の日本はどこをひっくり返したってパーティなんかできなかったからね)この一点をもっても、あの戦争は勝てるものではなかったということが認識できます。

後編「硫黄島からの手紙」は日本側から描いています。同じくイーストウッドが監督。主演は渡辺謙。公開は12月9日です。

2006年11月10日 (金)

5原則

自分が何かをやる上で心がけていることです。

・構想力…アイディア、思いつき、気づき

・実行力…構想したものを実現または実践する力

・実現力…やりぬく力、ねばり強さ

・決断力…目的に合致しないものを切りすてる力

・会話力…人ときちんと話(双方向のね)をする力

どれを欠いてもうまくいかないと思うのですが、最後に物を言うのは実現力です。多少、力がなくても、実現力のある人には好感が持てます。逆にどんなに力があっても実現力のない人は、誰も相手にしなくなるでしょう。

話題に関係ない話でも、書いて頂けると嬉しいのですが…。誰か書いてくれませんか?話題を振って頂けるとさらに嬉しいのですが…。

2006年11月 8日 (水)

手段の目的化

前から思っていたことですが、手段を目的化している人が多いですよね。分かりやすい例で言えば、数年前のIT革命。

私の友人で一人、そのIT革命に取りつかれているのがいました。その友人に連れられ、当時札幌駅の北口にあったビズカフェなる、ネットビジネスに取り付かれた人々が集まる場に数度、行きました。そこで交わされていた会話は、これからはパソコンの時代だからIT革命を早く実現しようというようなことでした。そもそもIT革命とはなんだったのか?

インターネットの利用で、パソコンがマニアだけでなく一般の人にも利用されるようになったので、手書きやフォーマットの違うワープロの文書、報告書の類を電子化し、情報を共有しようというのがそもそもIT革命の目的だったはず。だが、そのカフェに居た人たちはIT革命の実体もよく知らず、とにかくネットビジネスをすることがIT革命だと思っていたようです。まさに、IT革命は「手段」ではなく「目的」だったのです。蛇足ながら、ここに居た人たちで事業に成功したという話を聞いたことがありません。私の友人も何も残すことなく、大学も放校処分になったようで、行き先知れず・・・。(私の仕事などでも、手書き図面がCAD化され恩恵をあずかったはずなのですが…。むしろ細部まで表現できるようになり、仕事が増えてしまったようです。)

最近、賑わしている高校の未履修問題にも言えますよね。大学に行くのは高度な教育を受けるための「手段」であったはずが、すっかり「目的」になってしまった。「手段」としては楽な方を取らせてあげようというのが人情です。(歴史は覚えることが多いし、重箱の隅を突くような問題が多いし)高校で歴史を学んだおかげで歴史に興味をもち、大学もその方向へ進み、歴史の大家になったかもしれないのに、ただ大学に入るという「手段」の為、知見を広げるという「目的」が永遠に失われるのです。バカばかしい話です。

話が膨れてしまったけど、自分がこうしたいというものが本当の目的なのかどうか(私であれば、建築士の資格を取るのは建築の専門家として社会的信用を得るとういうのが目的だというように)、きちんと吟味して欲しいというのがこの話の主旨です。

2006年11月 7日 (火)

コンペ

昨日から職場のあるビルの1階で、ある建築設計コンペの作品展がはじまりました。実は数年前、このコンペに出して入選したことがあります。だから、ちょっと懐かったので見に行きました。審査委員長が私の学部時代の指導教官だったY先生になっていました。相変わらず、意味不明な文章を書いていたのをみて、なんだかなあと思いつつ、応募総数をみると70作品。たしか、私が出した時はこの倍以上はあったと思うけど…。

それもそのはず。私が出し時は、最優秀の賞金は50万円。現在は20万円の旅行券と賞金15万円。みんな現金だね。(そりゃ、設計事務所に勤めている若い人がのん気に旅行するだけの休みをもらえるとは思えないけど…)

ポール・モーリア

この名前、聞き覚えのある人は何人かはいるでしょう。

最近、亡くなったんですね。フランスの指揮者です。小学校時代、クラスの器楽で「エーゲ海の真珠」や「オリーブの首飾り」なんかを演奏していました。それもあって、中学の時は札幌に彼の楽団が来た時、厚生年金会館まで聞きに行きました。

彼の逝去のニュースは、懐かしさと寂しさの両方を感じました。久しぶりにCDでも引っ張り出して聞いてみようかな。ちょうど、ジェットストリームで流れてるな。

2006年11月 5日 (日)

主観と客観

みなさん、ごきげんよう。

先日、中学時代の友人と話すことがありました。話の内容は、仕事の内容というよりも人間関係も含めた手法について。

私の仕事は、建築の設計ですが、建築の設計というのはいろいろやることがあります。お客さんとの打ち合わせ、それを元にしてスケッチを描いたり、模型を作って、空間の検討。それを元に簡単な図面(一般図)をおこし、そして確認申請図、詳細図(実施図)と実際に建築をつくっていくのに細かい図面になります。だから、設計者は技術者であると同時に営業でもあるし、表現者でもあるのです。だから、建築の性能を保持したり、クライアントの要望を空間化するのに客観的に判断する側面と、クライアントの要望する空間の雰囲気を設計者の経験を踏まえて空間化していくために主観的に判断していく側面があります。だから、このバランスは仕事によって変わります。このバランスに偏りがあると良い建築にはなりません。(私の考える良い建築は追々。)

このような背景がある、私からすると友人の一人が話していた、お客さんの満足度を数値化して次の仕事に生かす(つまり人の感覚も客観化する)という考え方には、非常に違和感を感じました。ある側面(もしくは業種)ではできるけど、できないこともあるのではと説得を試みたのですが、彼を納得させることはできませんでした。世の中のことを何でもかんでも、客観化していくととても生きていくのが辛くなるような気がしてなりません。もう少し余裕(遊び)が欲しいものですね。機械でも人間でも遊びがなくなると壊れやすくなるものです。

格差社会の話でも感じますが、最近は話が両極端すぎて、とてもバランスを欠いているように思います。いや~、バランス感覚って本当に大事ですね!

2006年11月 4日 (土)

びっくりした

何かというと。非常階段のドアノブが取れてしまった。家に入れない・・・!?30年近く生きてきて、ドアノブが外れたのは初めてです。ちょっと困ってしまったけど、何のことはない。ドアノブをドアにはめて、回せばよいだけです。壊したかと思って焦ってしまった。Img_0709

2006年11月 2日 (木)

沖縄へ④

4日目、最終日。

ホテルのある恩納村をあとにし、世界最長の海中道路を見に南下。006 全長5kmの海中道路は今から30年以上前に33日で完成させたとか。沖縄本島から石油の備蓄タンクのある島に連絡しています。海の上を走っているような不思議な道路でした。沖縄に来て初めて磯の匂いがしました。ゴミが落ちていて、海もちょっと汚かった。(北海道の海に比べれば全然きれいでしたが)それから那覇市内に入り、レンタカーを返して、那覇空港へ。

007 借りていたレンタカーは日産のマーチ。非常にハンドルが軽く、運転が楽でした。難点を言えば、坂道の加速が悪かった。加速至上主義の私としては少し不満。それにしても沖縄の道路は“わ”ナンバーの車が多かった。4日間ご苦労様、マーチ。(北海道に戻ってから自分の車に乗ったとき、とてもハンドルが重く感じた。)

008 そして、一路、北海道へ。途中飛行機の下は、ずっと雲。こういう景色はずっと見ていても飽きないですね。この日、那覇の気温は30℃。千歳は、5℃。同じ日本でなぜ25℃も差があるのだろうか。

このところ、むしゃくしすることが多かったので良い気分転換になりました。今度の日曜から建築士の講座もはじまるのでがんばらないと。以上、沖縄見聞録でした。

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