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2007年10月

2007年10月28日 (日)

まもなくシーズンオフ

昨日と今日は2週間ぶりにバイクに乗る。来週、雨が降らなければ、平取へのツーリングでシーズンオフ。11月の中旬にはバイクを冬期保管で預けてしまうので半年くらいは、バイクに乗れなくなってしまう。11月からは、また建築士の学校が始まるので、来年は、土曜の午前中くらいしか乗れないだろうな。

昨日は昼頃からバイクに乗り、長沼付近でライディングの練習。

Bimg_1118 その後、夕張に向かい、三笠の桂沢湖を目指す。久しぶりに雨の降らない週末になったのでバイクをよく見かける。この写真は桂沢湖に向う途中にあるシューパロ湖にある三弦橋という鉄橋です。昭和30年代に木材搬出用につくられたのですが5年ほどでその役目を終えたそうです。世界でも稀な形式だそうです。なんでも大夕張ダムの改修が進むと、この橋も水没してしまうらしいです。産業遺産としても有名なこの橋を撮影するためだけにここに来る人もいるのに残念なことです。

Bimg_1122 紅葉は今がピークかピークを過ぎたあたり。山はかなり色づいている。国道12号からゆっくり札幌に戻ろうかとも思ったけど、せっかくなので栗山経由で長沼を通り札幌へ。16:00を過ぎると急激に冷え込む。手が冷たくなって感覚がない上、冷えて体が硬くなってきたので無理せずゆっくり走る。野幌原始林の裏から中を通って、もみじ台に出る。暗闇に何か白く動く物体を確認する。ネコかと思ったら、なんとアヒル???どこから出てきたのかわからないけど、お尻をブリブリ振りながら道路を横断する。今までに経験したことのないような不思議な光景だった。

今日は、午前中から2時間ほど走る。はじめは昨日と同じく長沼を走る。三川からマオイの丘公園の裏を通り、国道274号に抜ける。そこから一度北広島に入り国道36号線を横断し、羊が丘通りに抜けコーチャンフォーによる。情報収集と本を一冊購入し、家路に着く。今日はスピード違反で捕まっている車を2台見る。国道337号線や長沼の農道を走るときはご注意を。シルバーのクラウンの覆面がうろついています。今日は昨日以上にバイクを見かけた。みんな、残り少ないシーズンを楽しんでいるようです。今日は晴れていたけど、昨日よりも風が幾分、寒く感じられた。

2007年10月25日 (木)

整理整頓

できるようでできていない人が多い、整理整頓。

大学院時代の恩師がよく言っていったけど、整理整頓ができない奴は建築の設計に向かない。別に設計にかぎったことではないけど、これができない人はやはり仕事ができない。自分に望まれていること、お客さんが望んでいること、現状の把握、予算。世の中には色々な与条件があるわけで、それらの中から必要なものをセレクトし、不必要なものを破棄しなければ、物事は整理できない。整理できなければ、人に提案することは無理です。説明しても狙いが分からなかったり、意図が伝わらないのであれば意味がありません。ましてや、物量で気を引こうなんていうの言語道断です。(現実的にはオプションをたくさんつけるほうに人は流れてしまいがちです。電化製品なんかみれば分かりやすいですよね。オプションが多いと使いこなせないし、壊れやすいし、高いし、あまりいいことがない。)

整理整頓できない人はまず、捨てる勇気を持つことが大切。たいてい3ヶ月使わないものは、その後も使うことがないそうです。また、同じ家に住んでいるのに、同じものを買わない。オーディオなんていうのは一家に一台あれば事足ります。とくに最近はパソコンはあるし、携帯音楽プレイヤーもあるわけだし。

家が狭くて困っている人は、一度自分の家の持ち物を再確認するのもよいでしょう。不必要なものを捨てれば、案外、自分の家は広かったんだということが分かると思います。(ちなみ、一人当たりのスペースは20㎡あれば足りるようです。マンションの面積は70~80㎡が一般的です。)そのうち、書こうと思うけど、一人一部屋という考え方は物を増やす温床であることを覚えておいてください。(子供に個室を与えるのは、実は個性を育てていないので、僕はお勧めしません。個性はある集団の中で生活していて初めて身につくものであって、人との関係を経ってしいまいがちな個室を与えることでは身につかない。)

余談ですが、プロダクトデザイナーの深澤直人(デザインの輪郭:TOTO出版)やアートディレクターの佐藤可士和(佐藤可士和の超整理術:日本経済出版社)がその著書の中で、整理の重要性を説いています。建築の本ではないので読みやすいと思います。デザインに少し興味がある人は、是非読んでみては?

昨日(といっても今日の未明ですが)、朝4時まで働いていたのでかなり眠いです。しかも、睡眠時間2時間。今日はもう寝ます。しかし、昨日の帰りの夜空は星がきれいでした。空気が澄んでいるので、星がきれいに見えます。寝る前に星空の観賞なんかいいですね。

2007年10月24日 (水)

問われる責任、負うべき責任

ここ数年、特に思うけど本来、責任を果たすべき人が責任を放棄したり、自身が悪いのに自分は悪くないと責任を転嫁することが多いように感じる。

数年前、イラクで邦人が拉致された時に「自己責任」が声高に叫ばれたが、当地が危険であることは外務省は勿論、複数のメディアが伝えていたにも関わらずそれでも彼らはイラクに入国した。ボランティアだ、真実を見たいなど理由は様々だが結果として彼らは捕まってしまった。時の総理大臣は、「自己責任」であると叱責していたが、国民を守る立場である政府が邦人の安全を軽んじ、国の責任を放棄するようなことを公の席で言うのはどうだろうと思ったものである。私は、彼らの行為を軽率かつ思慮が浅い行為だと思うが、自業自得だから助けない方がいいとは思わない。当然、救出した後は何かしらのペナルティは覚悟してもらうが。

自分のやりたいことだけは主張し、やりたくないことや義務は他人に押し付ける。相手が拒絶すると、立場や相手の弱点をついて強制する。一言で言うととても大人気のないことが社会全般的に行われている。給食費の不払いやモンスターペアレンツなど本来の親の責任を学校に押し付ける教育現場の問題。超就職氷河期を経験した世代の未就職問題は、就職したくてjも就職先がなかった人に対し自助努力が足りなかったと言い放つ。全てとは言わないが、非正規社員やニートが増えたのはバブル経済のつけを払えなかった国と企業の責任である。しかし彼らは、過去の失敗から何も学ばず、企業の利潤を守るため人減らしをすることで見かけ上の面目を保った。結果、企業内での世代分布は極端に不均衡になり、技術が後進に伝わらないとともに、若年層の厳しい就業状況を生み出した。職がなければ、生きていくことすら大変だが、たとえ職にありつけも、安い給料と激務が待っている。

話が長くなってしまったが、僕が主張したいのは、「自分でできることは自分でしましょう!」ということだ。街中でゴミをポイ捨てして、誰が処理するのか?自分の子供がよそ様に迷惑をかけた場合、誰が悪いのか?(製造者責任!)説明書もろくに読まないで間違えた使い方をして怪我をしたのは誰の責任か?マクド○ルドに通いつめて太ったのは誰のせいか?タバコを吸いすぎて肺がんになったのは誰だろうか?よく胸に手を当てて考えて欲しい。そういったことがどれだけ、多くの人に負担を強いているのか。これらは、教育問題、雇用問題、社会補償問題など様々な局面で顔覗かせている本質だと僕は思っている。アメリカの悪いところを日本人が真似る必要は断じてない。だからといって弱い立場の人にはセイフティネットをつくって自立できるように手助けすることを忘れてはならない。

偉そうに書いていますが、最近、たいした仕事もしていないので気持ちが落ち込んでます。僕は社員でもないのに、やれ社長診断会の資料をつくってくれだとか部長会の資料をつくってくれだとか、僕にとってはどうでもいい社内向けの資料は暇な社員にでも作らせてくれと言いたい。それによって待遇や評価が上がる訳でもないし、ましてや何かスキルが上がるわけでもない。今日は愚痴っぽくなってすみません。ただ、組織の構成員とは別の視点で見ている分、冷静に状況が俯瞰できるだけに具合が悪い。

2007年10月23日 (火)

循環しないカネ

日本は、国民総生産が世界2位であるのにその恩恵を預かっている気がしない。実際、大企業に勤めていてもそれほどたいした年収になるわけではない。企業は大量に退職していく人たちの退職金と訴訟対策で、利益を社員に還元できない。また、先行きに不安を抱く人たちは、タンス預金に余念がない。そう、稼いだカネが市場に流れていない。車は売れない、住宅は建たない。日本人は大きな買い物ができなくなっている。不安が不安を呼ぶデススパイラルに陥っている。稼いだカネは使って、市場にカネを廻さないといつまで経っても、経済は活性しない。

歳をとっても、病気になっても安心して暮らせる社会を目指すのは待ったなしだ。くだらない政争をやっている場合ではない。このままだと、日本に見切りをつけた人たちは海外に出て行ってしまう。(実際、年金受給者の中には物価の安さから海内で暮らしている人たちがいる。彼らは日本人の税金で、海外でお金を使い、国内には循環しない。)

2007年10月15日 (月)

内藤VS亀田に思う

先日、内藤VS亀田のボクシングチャンピオン戦が行われたわけだけど、試合前からリングの外での舌戦が酷かった。本来、スポーツなのだからリングでけりをつけるのが本筋である。にもかかわらず、TV局や他のマスコミが煽り立てるから、舌戦はヒートアップ。唯の罵りに成り下がっている。亀田はチャンピオンに挑戦する立場であるにも関わらず、チャピオンに敬意を表すどころか言葉でこき下ろすとは見ていて不快だった。

亀田兄弟がテレビに出て来た頃は、多少生意気さは鼻についたけど若いのにハングリーさのあるいいボクサーだと思っていた。しかし、時が経ちマスコミに露出することが多くなってからはリングの内外でのパフォーマンスが酷くなった。マスコミ、特に亀田を押しているTBSの扱いは度をこしている。スポーツに変なストーリーは要らない。プロスポーツのパフォーマンスは、言葉ではなく行動で示せばよい。

ボクシングの亀田兄弟に限らず、昨年の甲子園での早稲田実業の斉藤、ゴルフの石川、大相撲の朝青龍その他諸々のスポーツ選手が、本業のスポーツではないところで話題になっている。スポーツが好きな人間にとってはいい迷惑だ。僕らが見たいのは、スポーツ選手のゴシップネタや彼の生い立ちではない。試合中の最高のパフォーマンスが見たいんだ。

2007年10月14日 (日)

紅葉山

昨日は、夕張の紅葉山でバイクで走る。本当は、そこから桂沢湖を通って岩見沢経由で家に戻ろうと思ったけど、思いのほか寒く断念。帰りは滝の上による。例年より紅葉が遅いようでまだ色づいていない。ここ最近の寒さで、来週には見ごろになっているだろう。

   P1010002札幌に戻る前に長沼で喫茶店をみつける。なかなか景色の良いところだった。

P1010001「珈琲考房」夕張郡長沼町加賀団体、ハイジ牧場の近く。カーブの途中にあるのでボーっとしていると見過ごしてしまう。

2007年10月10日 (水)

老兵は死なず

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

太平洋戦争終了後、日本の占領政策をおこなったGHQ最高司令官で有名な、ダグラス・マッカーサーが、朝鮮戦争の国連軍司令官の任を解かれ更迭される際に述べた言葉である。

最近、いつまでも引退しないで後進に道を譲らない人間をよく見かける。当人にしてみれば、若い者にはまだ負けないと思っていたり、自分は若いつもりでいるのかもしれないけど、傍から見ていると老いているのは明らかだ。見苦しいともいえる。(誤解がないように言っておきますが僕は老人を見下しているのではなく、歳相応に振舞った方がいいんじゃないと思っているだけです。僕の知る限り、老いても本当に気持ちが若い人は、でしゃばったり、頑固に騒いだりしません。もっと、品があって落ち着いています。)

老人に限らず、僕の知り合いにもいるのですが、学校を卒業しても先輩風を吹かせて、学生に説教なり、お節介を焼くのがいます。これも傍で見ていて見苦しい。時代や状況が変われば自分達の時代とは考え方が違うのだから、止せば良いのに思います。意見やアドバイスを求められれば応えたほうが良いと思うけど、そうでないのであれば、年長者は見守ってあげたらと思います。僕が逆の立場だったら、おそらく「ウザイ」と思うでしょう。

一度、自分の手から離れたり、もう無理だなと思ったら、若い人に任せてあげたほうがいいんでしょうね。見ていてもどかしく思うこともあるけど、任せられたほうは頑張るでしょう。そういう若い人たちの成長を見守られるような度量が欲しいと思います。僕なんかはまだまだだけど、30歳というのはそろそろそういうことをする年齢なのだろうと思います。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」を、僕は「やることをやってその後は、後進に任せるよ」とういうように解釈しています。僕は高校時代からこのフレーズが好きで、よく使っています。でも、そういう僕からすると最近の見ず知らずの若い人の非常識さには目を瞑るくせに、職場や仲間内の会合では若い人間をいびっているように見えます。少し過激ですが、「いつまでも年寄りが栓のところで詰まっているから水が流れなくて困るんだ」そんなふうに思います。例えば、N元総理だとか、Y新聞社のW氏。老人は若い人が困っている時にだけ助けてくれればいい。本当にそう思います。(何度も言いますが、僕は老人を馬鹿にしたり、足蹴にしているわけではありません。世の中には何歳になっても凄い人というのはいます。しかしでしゃばる人の大半は、努力もせず歳を重ね老いと経験を履き違えている人です。できもしないのにでしゃばると、混乱するだけだからやめてほしいものです。)

2007年10月 4日 (木)

豊かな発想

世の中の多くの人は安定を求める。それは生物としては当たり前だが、同時に物事に停滞をもたらす。金銭的安定を求めてタンス預金が増えると経済は循環しなくなり、経済は停滞する。経済の停滞は極度のインフレを招来し、紙幣はその価値ではなく、重さによって取引されるようになる。

それは仕事やプライベートでも一緒で、常に同じことしかしていないと変化についていけなくなるし、発想は貧困になる。そうなれば、充実感はなくなるしストレスがたまり易くなる。そうなれば、人は寄ってこなくなるし、ますます孤立していく。常に発想の転換は必要だし、生きていくには楽しみが必要だ。人間的成長にも関わる。

昔、設計事務所でバイトしていた時に、そこの所長に言われたことがある。この仕事をするなら、あちこち旅行して、色々なおいしいものを食べ、恋に遊びにと色々なことをしなさいと。まあ、恋は・・・だけど、学生時代から色々な経験をさせてもらった。それらは間違いなく今の僕を支えている。

だから、大小はあるけれど何歳になっても何か新しいものに挑戦する人は、すごいなあと思うし、逆に、若くても自分の枠からでてこない人は話していても面白くない。人間的成長のない奴に至っては論外だ。

定番も良いけど、一歩前に踏み出す勇気も必要なんじゃないかと思う今日この頃です。

2007年10月 2日 (火)

横入り

最近、JRで列車に乗るときによく横入りする人を見かける。今日も見かけた。自分の近くにいるときは襟首を捕まえて列の外に追いやるけど、そうでないときはなかなか対処ができない。まさか駅のホームで大声をはりあげる訳にもいかない。

それよりも、横入りをされながら周りの人たちが何も言わないことはとても問題だと思う。規則を守れだとか常識がないだとか言うつもりは毛頭ないけれど、自分の近傍で何か不正や不合理なことが起きてもそれをなかったかのように振る舞うことはとても危険だ。そういったものは芽が小さいうちに摘まないと、取り返しのつかないことになる。街中でのゴミのポイ捨てや我が物顔でどこでもスケボーで滑り騒音と道路を破損する行為など挙げればきりがないが、そういった積み重ねや大人の情けない態度が、ますます世の中をおかしくしていく。坊主どもはきちんと言えばわかる。余程、定年間際の親父どものほうが聞き分けが悪い。

若い人たちに何も言えない情けない大人にだけはなりたくないし、不正や不合理がまかり通る社会には住みたくないものだ。

2007年10月 1日 (月)

墓参り

今日は7年前に骨肉腫という骨の癌でなくなった中学時代の友人の墓参りに行ってきました。生前、友人とネットで親交のあったYさんが北海道に旅行で訪れていたのでそれに合わせて墓参りに行きました。友人の実家ではお母さんが料理をたくさん用意してくれていて、一緒に行った友人家族とYさんそして、なくなった友人の妹さんとその息子達A・B・C(年子)とにぎやかに昼食を頂きました。

自分自身はそれほど7年前とは変わっていないのに、周りの状況は変わっているんだなあと実感。中学時代の友人達のその後も色々聞いた。中学時代からの親友でここ数年、音信不通な奴がいるんだけど、そいつが大学院修了後、きちんと教職について最近は結婚したらしいという話を聞いた。めでたいことだけど、結婚の報告くらいしてくてもいいじゃないかとちょっとショック。一緒にいた友人には所詮、男なんてそんなもんだと言われてしまう。

まあしかし、現在の自分も大手をふるって報告できるような立場ではないからなあ。別にこそこそするようなことをしているわけでも恥ずかしいことをしているわけでもないけど、一応、修業中なので。

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