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2007年12月

2007年12月31日 (月)

2007年

今年も残すところも、あと数時間。今年一年は皆さんにとってどうでしたか?

僕は、一級建築士試験のための勉強の一年でした。結果は残念でしたが、バイクの車検をとって4年ぶりに二輪に復帰。期間は短いながらもあちこち行けて良かったです。欲を言えば、バイクに乗る友人が増えてくれると良いのですが、なかなか難しいですね。来年こそは建築士に合格しないといけないので、バイクに乗れなくなるのが残念です。ただ思ったのは、何かをやるために色々なことを犠牲にしなければならないけど、我慢のし過ぎは良くないということと、趣味は大切にした方が良いということです。結局、ストレスを貯めると体調は悪くなるし、集中力は散漫するし、仕事でもプライベートでも損をすることが多いと思います。

昨日は、例年恒例の小学校の同級生との忘年会でした。今年はいつもより多く10人近くも集まりました。小学校を卒業して15年以上も経つのに、久々に昔の仲間に会うと記憶が蘇るものです。来なかったほかのクラスメートの話は、良い話もあれば悪い話もありました。仕方のないことだけど、大人になると色んな利害が絡んで昔のように無邪気に遊べなくなったりするのは残念です。

今年一年、まあ色々ありましたが、ここ読まれているということは、僕も含めて平穏無事に過ごせたのだろうと思います。また来年も皆さんが無事に過ごせると良いですね。これからも「マリオ戦記」をよろしくお願いします。それでは、よいお年を!

2007年12月26日 (水)

舞茸

舞茸は隠し味にうってつけ。

鍋では、具を入れる前に入れればだしになります。(ごぼうの細切りと一緒に入れるとなおよいでしょう)そばでも良い味が出ます。僕は一人で暮らしていたときカレーライスをつくると必ず舞茸は入れてました。舞茸ご飯なんてのも最高です。濃厚であり深い味わいを出しながら、それでいてしつこくない。だしとして最高なだけでなく、食べてもすばらしい!

2007年12月24日 (月)

いつだったか誰かに、マリオくんは本を買う時に何を基準にすると質問されたことがあります。基本はインスピレーションです。本屋の店頭で置いてある本のタイトルで気になったのがあれば手に取り、はじめにとおわりにを読んで気に入れば買っています。他に新聞の書評なんかも参考にします。

本屋に行くのが好きなので、何もない限りは週末に一度は本屋に行きます。建築の専門書だと市内でも置いている店が限られているので行く店は決まってしまいますが。専門書だと高額なので月に一冊くらいのペースでしか買えません。なんせ、通常の3倍はするので。それ以外だと最近は、新書が多いです。ここ数年は新書ブームで、あちこちの出版社から出版されています。知の入門書としては新書は最適なので、浅く広く知識を身につけたい場合は最適だと思います。

小説も読みたいのですが、僕は小説を読み始めると他のことが手につかなくなってしまうので封印してます。今日も村上龍の「半島を出よ」に手が伸びかかったのですが結局辞めました。本を読む時間が通勤の時間くらいしかないので、途中でやめられるものというと小説は向かないので建築士の勉強がしなくても済んでからではないと厳しいかもしれません。

今日はクリスマスイブなのであちこち混んでますね。本屋もプレゼント用の包装を待っている人でたくさんでした。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。子供のときは朝起きたらプレゼントが枕元においてあるのが楽しみでしたが、僕らくらいの年齢になると楽しませる方になってしまうんですよね。

2007年12月18日 (火)

それがどうした

僕が最強・必殺だと思って言葉です。

例えば、交渉していた相手との妥協点が掴めず、どうにもならないとき。相手が屁理屈をこねて聞き分けのないとき。人間の言葉が通じない時。机を蹴飛ばして、「それがどうした」と言い放ち、その場をあとにする。相手に反論の余地を与えない言葉を僕は他に知りません。(笑)

ただ強い薬には、その後の副作用が強いのは世の常。「それがどうした」と言い放てば、ほぼ相手との関係を絶ってしまいます。抑止力は使わないからこそ、抑止としての効果を持つわけで、使ってしまうと最強・必殺ではなくなってしまいます。友人同士での使用にとどめておくのがベストでしょう。

言葉というのは、使い方を間違えると凶器にもなる。影口をほど陰湿なイジメはないですから。とかく、ネットでは相手が見えないだけに攻撃的な人を散見します。実際に会うと物静かな人なのかもしれませんが、ネットの中だから人格が変わるのか、自分が誰であるか隠せるから闇の部分が表出するのかぼくにはよく分かりません。なんにせよ、言葉というのはできるだけ完結にきれいに使いたいものです。村上春樹のような心地の良い文章を書けると良いのですが、彼に遠く及びません。当たり前ですが。

年が押し迫ってきました。忘年会があちこちであるので出費が心配な今日この頃です。今週は職場と学生時代のゼミの忘年会。来週は小学校時代の仲間との忘年会。忘年会が多くなると今年も終わるのだなあと思います。まだ振り返るには早いですがあっという間の一年でした。

2007年12月16日 (日)

サッカーと野球

学生時代、研修先の設計事務所でサッカーは世界的にメジャースポーツで野球がマイナースポーツなのはなぜだろうという話になりました。

僕は、サッカーはゴールにボールを入れるという単純なルールだけど、野球には複雑なルールがあるからあまり普及しなかったのではと話ましたが、結局そのときは結論がでませんでした。

確かに野球は次の北京オリンピックでオリンピックの正式種目から外れるくらい世界的にはマイナースポーツです。しかしながら、ピッチャーとバッター。まるで三國志や源平の戦いの一騎打ちのように息の詰まるような緊張感がアジアの人々にとってはたまらないのかも知れません。(欧米なんかには一騎打ちという概念が存在しないらしいですから。)最近はプロ野球で感じることは少なくなったように思いますが、高校野球なんかは今でもそんな感じが残っているなあと思います。

サッカーは、手を使わずにボールをゴールへ運ぶ。この単純なルールがあるからこそ、スタイルの違いによって色々な戦術を駆使し、様々な試合展開が楽しめ、世界の多くの人を魅了して止まないのだと思います。

来年はコンサドーレもJ1へ昇格。ファイターズは梨田政権一年目。どちらも、新規一転。来年の活躍が楽しみです。野球もサッカーも常時楽しめる競技場は世界広しといえども、札幌にしかありません。全く札幌ドームバンザイです。

車内アナウンス

金曜日は、JRが大変なことになってしまいました。何でも事故防止のための防護無線が誤作動したとか。原因は不明らしいのですが、駅から人は溢れていたり、タクシー乗り場に人が並んでいたりと大変でした。一夜明けて、混乱も収まり何事もなかったかのような日常に戻ったようです。

JRで帰れなかったので地下鉄で帰りました。普段は、帰りが遅くなりJRに丁度良い時間がなかったりすると地下鉄を利用しているので、早い時間に乗ったのは久しぶりでした。

あまり疲れていなかったので、ふと気づいたのですが、最近、札幌の地下鉄の車内アナウンスも自動になったんですね。聞きやすくなって良いのですが、昔のよくわからないアナウンスも懐かしく思えます。車掌の声が妙に上ずっていて、あれ今なんて言ってたと確認しなければならないような、あのアナウンスです。市営交通の職員に知己がいないので確認する術がないのですが、あの妙のイントネーションはなんだったのだろうかと思います。地下鉄の中はうるさいからあーいうイントネーションでなければ伝わりにくいからかとも思ったのですが、いまいち釈然としません。

「次は、南郷?チョメ、南郷?チョメ。降り口は○△×」

2007年12月13日 (木)

大丸の空間

最近、大規模小売店の提案に関わっているので商業建築を観察しています。

先日も仕事帰りに、駅前の大丸によったのですが、このデパートは良く考えられているなあと思います。

一つは天井高、二つ目は吹抜けです。外から中に入った時に天井が低いと圧迫感を感じますが、ある程度、天井を高く取るとそれを感じません。だからと言って、天井を高くし過ぎると、逆に居心地の悪さを感じてしまいます。その点、大丸の空間は、適度な天井高でそこに長く留まりたくなるような心地よさを感じさせます。

大丸には、一階と二階、最上階のレストラン街とその下の階に大きな吹抜けがあります。大きく吹抜けをとると、その空間のつながりが心理的な空間の広がりと賑わいの相乗効果を生み、人々に高揚感を与えているように思えます。

ただ天井が高いだとか大きな吹抜けというのであれば、ロードサイドショップやショッピングモールでも体感できるのですが、あまりに人のスケール感からかけ離れているのでどこか居心地の悪さを感じます。

老舗の百貨店というと何か古臭さを感じますが、逆にその古さが時の変化に耐えるだけの何か普遍的なものを獲得させているのかなあと思います。札幌ドームを設計した建築家・原広司が、大学の教授時代に世界の集落調査をする理由を著書の中でこう語っていました。「なぜ、建築家が集落を調査するのか。それは長い歴史を積み重ねてきた集落には時が変化に耐えてきた普遍性があるからだと。その普遍性を参考にすることで強い空間できる」みたいなことを語っていたのを思い出します。

2007年12月11日 (火)

ネチケット

インターネットのブログや掲示板で炎上という、手のつけられない状態になり閉鎖に追い込まれることが多いそうです。インターネットは匿名性が強いため、自由に発言できると言われていますが、その中にもルールがあると思います。炎上という事態に追い込まれるのは、これらのことが原因だと思います。

1.初めて書き込むのに、挨拶もなく馴れ馴れしく書き込む。

2.許容できる範囲で自分が何者であるか名乗らない。

3.相手との信頼関係もないのに、アドバイスをしたり批判をする。

4.相手の書き込みを茶化す。

他にも原因はあると思いますが、僕はこの4つが大きいのではないかと思います。1では、現実社会では当たり前ですが初対面の相手に挨拶をするのは常識です。それがネットの中だからといって変わるわけではないと思います。はじめまして、初投稿です、初カキコです。なんでもいいですが、そういった書き込みになしに、内容だけを書き込むのは相手に失礼です。2は、ハンドルネームすら名乗らないのは論外として、相手に不信感を抱かせないためにも許せる範囲で自分が何者であるか表明することが良いのではと思います。知り合いではあれば、事前に書き込むことを伝えると親切だと思いますが、そこまでしなくても、あなたの友人ですだとか、○○に住んでいる通りがかりの者ですと表明することで相手の不信感を払拭することができるのではないでしょうか。3は、迷惑をかけたわけでもないのに、信頼関係もないどこの誰だかわからない人に、「あなたは○○ですね。こうした方が良いです。」というようなアドバイスや批判を受けることは、人によっては誹謗・中傷されたと思い感情的になります。内容や表現にもよりますが、10年来の友人にアドバイスされるのと、見ず知らずの人にアドバイスされるのとでは、された方の心理的衝撃も違うと思います。もし、ネットで信頼関係のない相手にアドバイスをしたり、批判したいのであれば、相手の書き込みに対して親身に受け答えをし、相手の信頼を得てからではないとトラブルのもとです。4は、これも常識だと思いますが相手が真剣に受け答えをしているのに、それを茶化して返すのは失礼の極みです。相手が感情的になるのも当然です。

僕はこのように考えているので、他人のブログで相手を批判するようなことは極力避けています。(友人であれば直接伝えます)とはいえ、知人のブログに書き込んで相手を驚かせてしまったこともありますが、相手が求めてもいない、悩んでいるわけでもないのに他人のブログで安易にアドバイスを送ったり、批判したするのは避けた方がよいと思います。ネットというのは、相手の表情や正体がわからないので、どういった反応をしてくるか分かりません。自分は好意で書き込んだとしても、相手はそうはとってくれないことが多いです。どうしてもその人の発言や考えに意見したいのであれば、信頼関係を獲得し、自分の発言に責任をもったうえで自分の考えを表明するのがよいと思います。それによって相手がどういった反応をしても、誠意をもって応える。それが自分の発言に責任を持つ第一歩だと思います。

追記 ブログを書いているとあなたは自分勝手な人だという人がいます。ブログというのは、自分の考えを披露したり、気づいたことを書いたりするものです。社会的な論説を書いているわけではないのですから自分勝手になるのは当然だと僕は思います。厳しい言い方をすれば、そのように言う人は何か勘違いをしていると思います。人の考えに意見する場合、それに対して対案というか、自分はこう考えると表明しないのは失礼です。相手の意見も聞かず一方的に攻めるのは単なる嫌がらせだと思います。僕自身が書いたことで人を不快にしてしまうのは僕の不徳ですが、そういった自身の発言によって起きたことから僕は眼を背けるつもりはありません。それが自身の発言に責任を持つことだと思いますがどうでしょうか。

とまあ、硬いことを書きましがこれからもよろしくお願いします。これはどう思うかだとか、何かありましたら僕に遠慮せずに書き込んでくださいな。

2007年12月10日 (月)

機能的であること

モダニズムと言われる現代の思想は、20世紀に入り機械製品が本格的に大量生産され始めたことと深いつながりがある。できるだけ感情を拝し、機能的であることを目指した。しかし機能的であることは、個性というものを犠牲にしてしまう。そこでポストモダニズムの思想が登場したわけだが、結局、個性はそのものの持っている固有性の表明ではなく、表層の違いに終始してしまった。

ポストモダニズムは、日本ではバブル崩壊とあいまってモダニズムに変わることなく消滅してしまった。そして今は、スーパーフラットの時代と言われている。差異という概念がなく、全てが等価に扱われる。表裏も、老いも若きも、師弟も、親子も、そしてそこには機能という概念さえも融解し、よく分からない状態におかれる。

建築に置き換えると、モダニズムの考えというのは、いわゆるnLDKに代表される、個室とそのほかの機能という考えに集約される。ポストモダニズムは、バブル期に流行った、奇抜な建築。(墨田区にある、う○こみたいなオブジェのある某飲料メーカーの本社ビルのようなもの)そして、スーパーフラットな建築は、基本的にワンルームであり、そこには部屋間のヒエラルキーが存在しない。もっと分かりやすく言うと、どこが廊下でどこからが個室なのかわからないような建築。こういった空間を考えるのは面白いけど、その空間を利用する人にとっては、明確な考えがないと使いこなすことができないので辛いかもしれない。

機能的であることは、とても分かりやすいけど、時の変化にあわせることが難しい。(それだけに将来の計画を明確にしないと途端に機能的ではなくなる。現在の社会インフラや社会制度が半ば機能不全をおこしているのもうなずけるはず。)一方、フラットな空間は機能が明確ではないのでどのようにも使えるが、利用者には空間的な訓練が必要になる。(それだけに将来的な変更には簡単に対応できる。)

日本では、一般の人が「空間」という概念を学ぶ機会がない。(強いて言うなら、中高の家庭科で住居について多少学ぶことがあるくらいではないか。)空間というと何か硬いが、スケール感と家具の配置を考えることで分かるようになる。ここにはどのくらい物が入るのか、どういった状態で食事を楽しみたいのか。こういったことが少しでも分かってくると、ガチガチの機能的建築は窮屈に感じてくるはず。

一番大事なことは、自分がどうしたいのかということであって、既存の物や制度に無理に自分をあわせることはないということ。(もちろんあわせなければならない場合もあります。)その中でどうやって社会や環境と折り合いをつけていくかということなんだろうとおもいます。人も環境も変化するのだから、社会も変わることが必要ではないだろうかと思います。

不思議な縁

土曜日はツーリングクラブの忘年会でした。

このツーリングクラブには、高校時代の先生もいるのですが、高校の先輩までいることが分かりました。その人は3期生とのこと。(ちなみに僕は18期生)

考えてみると、僕は何かと高校の3期生に縁がある。高校時代の先生で3期生はいたし、とある祭のスッタフをしていたときにも、祭の運営の責任者に3期生の人がいた。しかも、この人は、ツーリングクラブの3期生と中学時代から一緒だったらしい。他に3期生には道内ローカルでラジオ番組をもっている有名な漫画家もいる。しかも生徒会長だった。(この人には会ったことはないけど)

人の縁の不思議さに、驚かずにはいられなかった。

携帯オヤジ

携帯の電子音は人の耳にはとても不快なんですよね。

先日、帰りの電車で隣に座った50歳くらいの男性が携帯電話をいじってました。ただ、いじっていただけなら良いのですが電子音を切らずにいたのです。うるさいなあとは思いましたが、連絡のメールでもしているだろうから2,3分くらいならいいかなあと思っていました。しかし、しばらくしても辞める気配がないので何をしているのか覗いてみると、メールの受信暦をいじっているだけでした。さすがに僕も、ちょっとなあと思い、

「すいません、電子音切ってもらえませんか」

とお願いしたのですが、謝ることもなく憮然とした態度で

「もう少しそっちに詰めてもらえませんか」

と返してきました。僕はいつも詰めて座っているし、これ以上動くこともできなかったので、笑顔で

「これ以上いけないんですけど」と返すと、

「あんた変わった人だね」

と返してきました。僕もすこしカチンときたので

「場所、変わりましょうか」

と返すと、

「いいです。」

とのこと。自分より若い人間にしかも公衆の面前で注意されたことが余程気に入らなかったのでしょう。でも、明らかに人に迷惑をかけているのにそれを謝らないところか、他人に対して失礼な言動を浴びせるというのは大人の態度としてはあるまじき行為だと思います。幼稚くさいともいえる。仕事のアイディアを考える時に子供のような先入観のない考えをもつことは良いと思うけど、社会生活を送る上で大人になれない子供のような人が増えているのはちょっと勘弁です。(席が狭いのはあなたが太っているからです。席が狭く、加齢臭で迷惑していたのはこっちなのになんとも失礼な話です。)

抗わず

先日、精神科医で大学教授の香山リカ氏の掲載コラムにこんなことが書いてありました。

最近の学生は、セレブと言われる社会的成功者や権力者には、抵抗しない。あの人たちとは生まれが違うだとか才能が違うともっともらしいことを言って、別次元の話にしてしまう。一方、ネットのブログや掲示板で、人のことを中傷することには積極的らしい。手の届かないと思われる人たちには何の関心も示さず、身近な人に対してはとても攻撃的だそうです。

自分達には関係ない、手の届かないことに思いを馳せても仕方がない。最近の学生というのはとても、リアリストで夢がない。確かに何をするにしても厳しく、規範のない時代には現実を直視することは大事だと思います。だけど、世の中はゲームのようにロジックだけで解けるほど単純ではないし、何より感情を持った人間には、人を何か掻き立てる起爆剤のようなものが必要だと思う。

もし、自分が何かしようと思ったときに、既得権益者が利益を独占して社会に再分配することを拒み、機会が巡ってこないのならば、それを奪還してやるくらいの気概は欲しいと思うし、むしろ、そういった熱意や感情を高ぶらせることがないから、どことなく社会が白けていて閉塞感が高まっているような気がする。セレブなんて言って喜んでる場合ではない。弱者同士で潰しあっても何の解決にもならない。

今、必要なのは、思いを持続しあきらめないこと。何かもっともらしい理由をつけて、思考を停止するのは利口かも知れないけど、辞めた方がいいと思います。

2007年12月 5日 (水)

建基法改正による影響

業界ネタですみません。

先日、道内ではテレビCMも流れてていてRC-Zの住宅で有名な早川工務店が準破産宣告しました。同社の主力だった3階建て住宅が建築基準法の改正により、確認申請が下り辛くなってしまったのが原因のようです。

最近、業界では良い設計したい若い建築家、構造家は海外に出ろと言われています。自分の国での設計活動が法律によって制限されるどころか、それで食べていけなくなるというのうは悲しい限りです。

2007年12月 3日 (月)

ダウン

先週の水曜日からしばらくダウンしてました。

先週の水曜、熱っぽかったので早退。帰宅して熱を測ると39℃近くの高熱。僕は元来、平熱が35℃代で37℃の微熱でもぐったりするのですが、38℃を超える熱を出したのはここ10年以上なかったのでびっくり。熱がなかなか下がらず、筋肉や関節が痛む。翌日になっても、熱が下がらないので病院へ。インフルエンザも疑ったのですが、セーフ。今は子供の科学キットみたいなもので簡単に分かるんですね。仕事が詰まっていたので仕事も休めず、熱が下がらないまま遅刻して職場へ。しかしながら、処方してもらった薬で、急激に熱が下がりました。

数日たって、熱は下がったのですが体のだるさはなかなか取れません。風邪をひいた時は無理せず、初期の段階で薬を飲んで安静にしているのが一番です。

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