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2008年2月

2008年2月25日 (月)

寒波襲来

すっかり、ブログを停滞させています。そんななかでも読んでいただきありがとうございます。

さて、昨日、札幌は風と大雪に見舞われ、大混乱でした。JRは止まり、道路は車線が減り、長沼や千歳では国道でも1km進むのに5時間かかったとか。そんな日は、どこにも出かけないのが一番だと思います。残念ながら、僕は所用で少し外出したのですが、道路はやはり凄いことになっていました。僕の車は4駆なので道路に雪があろうがへっちゃらなのですが、FRやFFの車は大変ですね。(個人的にはラリーをやっているみたいでちょっと楽しかったのですが・・・。失言でした。)

最近の北海道の雪は、湿り気が多いというかさらさらしていないので重いですね。これも地球温暖化の影響なのでしょうか。

2008年2月21日 (木)

キレル老人

今日、所用で市役所に行った時、怒鳴っている老人を見かけた。さすがに酷いので止めに入ろうとしたがその前にいなくなった。詳しいことはわからないけど、待ち時間の説明が気に入らなかったのか、待ち時間そのものが気に入らなかったのか、職員に向って10分後に来ると何度も叫んでいた。

先日、新聞に最近の高齢者はキレやすいというのがあった。成果主義で年上でも若者に敬れないことや昨今のIT技術についていけずITストレスになっていることが原因とされてた。しかし、そんなことぐらいでストレスがたまるのだとしたら余程、甘やかされてきたのか、人間として精神的に劣化してるとしかいえない。今の若い人の方が、辛い状況は多いはずだ。

なんにしても、役所で怒鳴り散らすのはナンセンスである。

最後に、ITについていけないのなら、無理に使う必要はない。携帯オヤジのときにも思ったが、それを使うことで無用なストレスを抱えたり、無駄なエネルギーを使うのであればもっとほかの事に傾注なさったほうがみんなのためであり、何より自分のためだと思うがどうだろうか。「使うなら慣れろ、慣れないなら無理に使うなである」

2008年2月17日 (日)

小学校のクラス会

先日、金曜の夜に小学校時代のクラス会がありました。とはいっても、10人程度のささやかなものですが、卒業以来、久しぶりに会った人もいて、懐かしい時間でした。

今回は恩師も来てくれました。すでに教員は退職して、いまは大学の非常勤と教員予備校の講師をしているとか。還暦も過ぎてすっかり老けていましたが、口調は昔のままでした。かつてのクラスメイトもすっかりお母さんやお父さんになっている人もいたけど、中身は昔のまま。不思議なことに20年近く経っても、すぐに当時のように戻れるのは不思議だ。

習うより慣れよ

最近、この言葉の意味がようやくわかってきたような気がする。何かを会得しようとする時、理解して扱えるようなるためには物事を系統的に覚えることは大切だと思う。しかしながら、いくら系統的に覚えても、関連性のないもの同士だとうまくいかない。例えば、足し算と掛け算を覚えても、掛け算や割り算を先に計算するという決まりごとを知らなければきちんと解答までたどり着けないというように、系統的な学習の後には、実践という場を設けなければ、それらの関係を扱えるようにはならない。

つまり、知識や経験というのは相互の関係がなければただの持ち腐れとなってしまう。脳内でシナプス(脳内物質)が繋がりあって、点と点の記憶がつながり、知識として活用できるように、知識を身につけたあとには数多く実践(戦)を潜り抜けなければ物にはできない。そして、最終的に頭で考える前に、それらが無意識に動くようになると最高である。

難しくかいてしまったが、要は四の五の言う前にまずやってみる。やってみてうまくいかなかったら、考えてやり直す。物事はこの繰り返しなんだと思う。

2008年2月12日 (火)

責任の在り処

仕事をしていて思うのですが、責任の所在というものが曖昧なことが多い。

「○○なんですけど、誰に聞けばよいですか。」

「△さんに聞いて。」

「□さんが、△さんに聞いてと言っていたんですけど・・・。」

「△の野郎の仕事だから、□に聞いてくれ。」

こういうエンドレスな話が、時々、繰り返される。なんのためにそれぞれ担当者がいるのか。細かいことまで担当者以外が気にしなければならないのか。個人裁量が行われているはずの仕事が、いつのまにか匿名集団の仕事になっている。これだから、手を抜いて楽をしたり、お金をちょろまかしたりする奴がでてくる。

責任は、目に見える形で誰がどのような権限を持っていて、最終的に誰が決定するのか表明していないと、良い仕事なんてできないと思う。責任の所在がはっきりしないと、色んな人や事に翻弄されて、無駄な時間と労力を費やすだけだ。

沈黙は禁なり

自分では何も言わない、何も行動しないのに、○○が△△しないから頭にくるだとか、××はわかってないあなと達観している人がいます。そういう人たちは、何かして失敗するより罪が重いと思う。

一昔前なら、間や空気を読むとういうようにはっきり口にしなくても人は動いてくれた。でも、今や価値観が多様化してしまい同じ日本人でも立場や世代によってかなり考え方が違う。ネットビジネスでたくさんお金を稼いだ人が、働いても働いても生活が苦しいワーキングプアといわれている人たちの気持ちはわからない。(だから、マスコミが最後の砦として存在しているはずなのだが)

得意、不得意はあるけれども、自分の意見を持ち表明することが大事だと思う。あくまでも、行動することが大事なのであって成功することは二の次である。

2008年2月 8日 (金)

青春

昨日、帰り道のこと。JRの駅を降りた改札の正面に、深刻そうな顔をした高校生カップルがいました。表情から察するに別れ話でもしていたのでしょう。今は、悲しく苦い出来事だけど数年すると良い思い出になるのかもしれません。

青春だなあと懐かしんでいたところに、僕の後ろで中年カップルが、別れ話をネタに盛り上がっていました。人の不幸を話のネタにするなんて、なんなんでしょう。

2008年2月 2日 (土)

人の善意

ボランティアというのは、見返りを求めず、自発的に行う善意の行動だと思っています。ただ、都合の良いように使われている時があると思う。

僕が今週手伝いに行った建築家展は普段の自分達の活動を知ってもらおうという宣伝と啓蒙です。であるならば、普段建築と縁のない人たちをどうひきつけるか、その一点のみに集中してもよいくらいです。残念ながら、内輪の中で盛り上がるだけで、人に伝えようという意識が希薄な上、美術館の展示物としてあまりに稚拙です。お金がなかったのだろうというのは簡単に想像できるけど、せめて限られた予算と時間の中でギリギリまで真剣に取り組んだ方が良いのではないだろうかと思いました。また、建築家協会というある種の集団として一般にお披露目するのだから、展示の仕方を統一するだとか、展示物のレベルを上げるためにある水準を満たしていないものは展示しないくらいの意識は必要だったのではないだろうか。普段の僕の仕事から見るとあまりの稚拙さと段取りの悪さは、職場の命令で行ったとはいえ、人のやる気をなくさせるのに十分だった。さらに、自分達の展示であるのに、展示物を持ってきただけで展示は人任せ、設置すらしないだらしなさ。こちらは自分の仕事があるのにそれを2日間止めて、社会活動の一環として善意で手伝っているのに、そうされることが当たり前だという態度はどういうことなのだろうか。これでは、建築家が社会的に認知されないのは当然であろう。まったく迷惑な話である。とても、人に薦められるような展示にはなっていない。

話が横道にそれたけど、善意で活動に協力している人にそれなりの対応をするのが筋だと思います。ボランティアは、無償の労働者ではなく、善意の行動者です。かつてあるお祭りでボランティアと連呼しているのを聞いて、不快な気分になったのを思い出しましたが、自分達はそれをしてもらうのは当たり前だとか、それくらい提供するのは当然だという態度は、理解のある人さえも敵に廻す最悪な行動だということを改めて認識した2日間でした。

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