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2008年3月

2008年3月30日 (日)

新聞の文字

来月から新聞の文字がまた大きくなるらしい。文字が大きくなるということは、記事の字数が減る訳だけど、それで読者にきちんと伝える記事ができるのか疑問だ。

高齢化社会で、読者に高齢者が増えているからだというのはわかる。でも、昔から高齢者はいたわけで、目が悪くなって読み辛いのであれば、拡大鏡を片手に読んでもらえばよいのではないだろうか。このようなことを書くと、マリオは高齢者ではないからわからないじゃないかとか人の気持ちの分からないだという人もいるかもしれないけど(そんなこと言ったら何もできなくなると思うが)、たまに人に合わせてもらうのではなく自分で合わせたらどうだろうか。どうしたって、必要なことは必要なのである。字数が少なくてきちんとした記事がかけるとは思えない。例え書けたとしても、情報が不足するのではないだろうか。

今に始まったことではないけど、日本人は過保護にされすぎている。これでは、日本人のスペックが下がるばかりだし、際限がない。自分で手は動かしたくないけど、他人には必要以上に働くことを望む。自分で考えない、物事は他人任せ、それでいて自分で行動もしないで要求ばかり。皆そういう風になったら、誰がきちんと働くのだろうか?

機動戦士ガンダム00

昔から僕はガンダムが好きで全シリーズを見ています。幼き日、ガンダムの再放送のオープニングで青い地球をバックにシャアの赤いザクを中心に緑色のザクが攻めてくるシーンの衝撃は今でも忘れません。なので、年甲斐もなくガンダムというと見てしまいます。

今回のシリーズは一先ず昨日で終了し、セカンドシリーズは半年後に始まるらしいですが。今回の00は、監督が「鋼の錬金術師」の水島精二、脚本が「無限のリヴァイアス」の黒田洋介、音楽が「パトレイバー」「イノセンス」の川井憲次という陣容なので期待していました。

細部を書くと長くなるので書きませんが、大きな流れの中に多くの伏線をちりばめつつ、スピード感あふれる演出で飽きさせないつくりはさすが。その伏線を投放にせず、小出しに真実を明かしていき、見るものに不満を持たせず、かといって安易に満足させない演出は特筆に値する。最終回前の回の絶望の淵から助かったと思う場面。実は、助かったと思われた人物はそうではなかったいう演出は、悲しみをなお増幅させていた。そして最終回、最後の敵を倒したと思った刹那、真のラスボス登場。敵と主人公は相打ち。敵は名(迷言)を残し、口元に笑みを浮かべつつ、閃光の中に消えていく。最後の戦いの末に、主人公は生死不明に…。

ラスト数分、セカンドシリーズに続くべく話は4年後に進み、また話を小出しに終了。このガンダム史上、屈指の名作の一つだと思いました。なので、半年後のセカンドシリーズは楽しみである。

2008年3月27日 (木)

心遣い

先日、友人に子供が生まれたので友人数人と出産祝いを送りました。そのお返しが、昨日届きました。

お返しは、ハンドタオルでした。僕は汗かきなので、夏はハンドタオルが必需品です。なので、とても助かりました。

最近、殺伐としていることが多いので、こういう心遣いはとてもうれしく思います。どうも、ありがとう。

無用の長物

最近、職場で僕のところに聞きもしていないのに無用な報告をしてくれる人がいます。

○○は、今日も何もしないで画面を眺めているだけだとか、図面をかいていない等等。正直、僕はこの○○に興味がありません。○○が仕事をしていない(ように見える)のは彼の不徳だし、彼そのものに設計者としての資質が欠けているのにも関わらず入社させたのだとすれば、人事に見る目がなかったからでしょう。

仕事に比して人材が足りていない昨今、。遊兵をつくる余裕などのないのですから、彼の性根を叩きなおし、なんとか使い物にできるようにするのは上長や先輩の仕事だと思います。にも関わらず、影でこそこそ陰口を叩いている状況はどういうわけなのでしょう。理解に苦しみます。

人の個性は千差万別です。僕は人に言われなくても自分で進んで物事を運びますが、誰かに言われなければ気づきもしないし、行動も起こさない人もいます。そういったことを見極めて上で後輩の面倒を見ていただきたいものです。やる気のない人と仕事はしたくありませんし、無益なだけならまだしも、有害と来た日には目もあてられません。

2008年3月23日 (日)

PSP

最近(といっても1ヶ月くらい経つのですが)、PSPを購入しました。

といってゲームをやるわけではありません。以前から、カーナビが欲しかったのですが、僕の資金力が乏しいため手が出ませんでした。そこでナビソフトとGPS受信機、PSP本体が通常のカーナビよりもかなり安いことが分かったので、購入しました。

起動時にGPSの衛星を捕まえるまで時間はかかるのですが、目的地までの案内は勿論、走行した軌跡も保存できる優れものです。久しぶりに良い買い物をしました。

残念なのは、これを使って遠出することはしばらくないことです。

2008年3月20日 (木)

価値観

最近、思うのですが、物を見る価値観を外部依存している人が多い気がします。だから、雑誌で記事になったものでヒステリックに騒いでいる人を見るとかなりげんなりします。

自分で価値観を持っても、多くの人が共感しなければ間違えているという感覚に陥ってしまうというのもあるのでしょう。別に既存メディアにあわせる必要なんかないと思います。メディアもきちんと定義をしっかりした上で偏見のない記事を心がけて欲しいと思います。事実に基づかないにことを言い切ったり、煽ったり、無理に流行を作るようなことをしないでほしいと思います。

今に始まったわけではないのかもしれませんが、最近の専門雑誌(特に建築なんですが)に多い同人誌的な仲間内で盛り上がるような記事を読まされても面白くないし、参考にならない。

今日、本屋で立ち読みしながら、こんなことをぼんやり思っていました。

2008年3月16日 (日)

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか

城繁幸著、ちくま新書刊。を今、読んでいます。途中までの感想を述べると、あなたは結局、お金が欲しいのですかと言いたくなる。

実例紹介をしながら年功序列の昭和的価値観と成果主義・実力主義の平成的価値観という二つの軸で話を進める分かりやすはあるのですが、僕には彼の論点の落としどころがよく分からない。つまるところ、年寄りは既得権益を手放し、若者にもっと権限とお金を渡せというところなのだろうか。彼が著書の中で挙げる実例は、確かに就職氷河期になんとか苦労して就職し、会社組織の古い体質に嫌気がさして、転職した苦労人の話ばかりである。そのわりには、○○歳で部下が○○人とか残業時間が○○○時間とか、年収○○○円から何倍になったとか、見る人によっては自慢話にしか思えない。彼自身が実は、昭和的価値観に一番囚われているのではないかと思えてならない。(今、日本の労働者が苦しんでいるのは、生活を変えたくてもそれを支えられるだけの経済的基盤がないからであるので、そんな事例を挙げたところで何の役にも立たないと思う)

話はそれるが、僕はお金が余るほど欲しいわけではない。家族を持ちつつも我慢すれば自分の趣味のお金を何とか捻出できる収入があれば良いと思っている。好きな仕事だからこそ、仕事で体は壊したくないし、好きなことだからこそ、それでどうやって仕事をしていくかということを考える。きれいごとを言うつもりはないが、年収が何倍になったとか、部下が何人いるとか、今月は○○○時間残業したということが、僕の仕事をする上でのバロメーターにはならない。自分の仕事が社会のためというか、僕に仕事を頼む人が喜んでくれて、かつ、幸せになってくれる人がいれば良いと思う。そういった中でついでに、新しいことにチャレンジできればなお良いと思う。

自分達の生活を主体にするのであって、仕事を主体にするような今の日本のあり方が変わればいいなあと思う。(別に仕事をしたくないわけではなくて、もっと色々なことを経験したり、考えることのできる余裕が必要だと思う)経済的にも、時間的にも、生活的にも余裕のない今の状況が続けば、何も生み出せない、誰も喜ばない、責任を誰かに転嫁するだけで何の解決にもならない無機質な社会が再生産されるだけである。そうならないためには、拒絶するという勇気が今は必要な気がする。

2008年3月12日 (水)

青いランドセル

の小学生を朝、出勤の際、よく見かけます。まっすぐ学校に行けばよいのに、あっちふらふら、こっちふらふらと寄り道をしながら学校に行っているようです。

僕も昔、学校の行き帰りを寄り道しながら通ったものです。まっすぐに行けば10分もかからないのに、その3倍の時間はかけていたように思います。昔から好奇心が強く、気になったことはとことん確かめなければ気が済みませんでした。当時に何がそんなに気になったのか覚えていませんが、青いランドセルの彼を見ると、昔の自分を見ているようで懐かしいような気恥ずかしいような気持ちになります。

2008年3月10日 (月)

近況

書くネタはたくさんあるのですが、何分、学校に行く日はあえてパソコンを開かないようにしているので、書き込みができません。

土曜日は、近代美術館で開催されているエジプト展に行った。入場制限がかかるほどの大盛況で、あまりゆっくり観られなかったのは残念。吉村氏も来ていた様で本当に凄い人だった。絵画や彫刻などと違い、考古学的な遺跡には、ロマンがあるのだけど、何か訴えかけてくるようなものがないのが物足りなかった。とはいえ、吉村氏の執念のようなものを感じるすばらしい展示だったのは確かです。3000年も昔のものが、目の前にあるのも圧巻です。

日曜日は、午前中に学校に行った後、高校時代の友人に子供が生まれたので出産祝いを持って、訪問。あまり泣かずに大人しい、親孝行な赤ちゃんでした。友人達に続々と子供が生まれていて、自分も早く欲しいなあと思うけど、その前に相手を見つけないいけまんせんな。その後、友人達と食事などをして帰宅。

最近、家でゆっくりすることがないので少し疲れていますが、とりあえず風邪もひかずに息災です。腰も良くなったみたいで、まったく痛みがありません。今週は、体を休めるためにも、仕事や学校以外は家でゆっくりしようと思うので今度の週末は、きちんとブログを書こうかなあと思います。あまり期待せずに待っていてください。

2008年3月 2日 (日)

目的

目的とは、何かをする上での道しるべであったり、努力目標だったりする。だから、必ずしも、十分にその目標を果たすことはできないのだが、掲げることは大事だと思う。

戦争というか軍事行動に置きかえてみると分かりやすい。(僕は、昔、大戦略などのシュミレーションゲームに熱を上げいた時期があり、それがきっかけで戦史や戦術・戦略に興味を持ちました。今でもたまにそういう関係の本を手に取ります。一時期は本気で防衛大学校に行こうと思ったくらいです。今ではあくまでも趣味の一つです。念のために、僕の職業は建築の設計です。)

戦争を行う際には必ず要因があるわけです。例えば、太平洋戦争時の日本だったら、アメリカによる経済制裁による原油の枯渇を打破するというように。国力の圧倒的な差を埋めるために真珠湾の奇襲攻撃が計画され、その戦略目標に対して、様々な論理が展開されるわけです。政略、補給、修理、情報収集などなど。

逆を言うと、目標が提示されなければ何も動かないということです。最近、目標や狙いを示さずに、目の前の事象に右往左往していることが多いように思います。流行や時の流れに乗ることも大切だけど、今の自分が何のためにそれをやっているのかきちんと考えることは重要だなあと思います。仕事にしろ、個人的なことにしろ、ただなんとなくやっているというのは個人的には辛いなあと思います。価値感が多様化し、何を信じればよいか分からない時代だからこそ、自分の方向性ははっきりしておくことは大切だなあと思います。

目的ができると、手法や方法というのは限られてくるので、全体像というのがはっきりしてきます。そうなると自ずと方向性がはっきりしてくるので、迷いが少なくなります。これは、僕のデザイン上の考え方でもあるのですが、本当に必要なものは何なのか?必要最小限の機能までブラッシュアップしていく、「引き算のデザイン」に繋がっています。日本の工業製品は確かに、性能が良いのですが、いまいち使い勝手が悪いのは、「足し算のデザイン」だからです。必要もない、機能がたくさん付加されていて、個体差がなくなっていく。だから、結局、どれも一緒で、人々の関心が薄れて売れないという悪循環にはまっているようにも見えます。

2008年3月 1日 (土)

成吉(じんきち)

今日、友人と出かける。昼を長沼のマオイリゾート近くのジンギスカン屋、成吉(じんきち)で食べる。

鍋は、一般的なジンギスカン鍋ではなく、真ん中が突き出ていて平らでここで肉を焼き、周りもやしやラーメンを入れて煮込む。多少、つけタレが甘かったけど美味かった。

ラムジンギスカン定食で1000円。

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