縦割り行政なんていう言葉に代表されるように、組織化が進むと部署の利害を追求することに躍起になって、物事の本質を見失っているように思います。行政であれ、民間であれ組織化されているのは生活の向上を目指し、物事を効率化するためではなかったのかなあと思います。
組織が縦割りになり部署間が対立するのは、お互いの実情をよく分からない、つまり、コミュニケーションが不足し、他部署の情報が欠落していること。そして、自分は門外漢であるにも関わらず、自分の専門外のことは居直って理解する努力を怠っているからではないのかと思います。(これは仕事だけではないと思うけど)
サッカーで言えば、FWだけ先走ってオーバーラップをかけても、MFとの連携がうまくいっていなければ前線にはボールは回らないのと同じで、そのポジションごとの仕事を果たすのは当然として、連携をとるためのアイコンタクトが重要なのと同じだと思います。野球でも在京の某球団が各球団の4番打者を揃えても連携がうまくいかず低迷を続けていることからもコミュニケーションによる連携は、今後、一層大事だともいます。
また、仕事や生活で不公平感が生まれるのは、誰かに負担が集中しているからであり、これも縦割りの温床だと思っています。専門分野ごとに組織化することは一見すると効率が良い様に思いますが、見かけ上みんな同じ仕事をしているようなので一人ぐらいサボっていてもそれが外部に対して表面化しないこと、部署内で色んな人の手に触れられるので誰の責任でそれを行ったのがわからない、つまり、仕事に個性が失われていくので、自覚が希薄化するなどの弊害により、かえって効率が悪くなっているように思います。
これ他の対策としては、
1.既存の専門分野ごとの組織を撤廃し、グループ制を敷き原則独立採算とする。具体的には、組織内に小さな組織をつくりることで、各自の仕事に対する自覚を促すと同時に、モチベーションの向上を図る。自分で動かせる範囲が広くなれば、努力した分の戻りは明確化される。(実際は簡単ではないと思うけど)
2.給与体系も含めて独立採算にすることで、各自の成績が明確化することになる。これはモチベーションの向上とともに、経費の節約に繋がる。
等が挙げられると思います。ただ問題点がないわけではありません。これらは、個人の権限を大きくするもので、それに伴い個人に過大な努力を強いることになります。(努力しないと淘汰されてしまうので、今までの日本の企業のあり方に浸かっていた人には辛いでしょう。決して楽できるものではありませんから)
実はこれらは、僕の専門である建築を考えているうちに思いついたことなんですが、それらとの関連はまた追々。
ただ言えるのは、日本と言う社会は個人の権限の拡大を叫びながら、個人が劣化してきているように思えてなりません。他人の努力を平気で横から奪い取って楽をしている人が増えているようで僕は、この流れが嫌です。給料が上がらないと嘆く前に、自分はコストを下げるために何をしたかを考えて欲しいと思います。下請けや立場の弱い者の給料をダンピングして、自分達の生活は安泰だと言うことは僕にはできないことです。
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