« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

2008年4月29日 (火)

朝から

毎週日曜日、サッポロファクトリーにある学校に朝8時くらいに着きます。この間の日曜日、いつもは静かなのに広場に女性の行列。何かバーゲンでもあるのかなあと思っていました。

休み時間、ファクトリーのアトリウムにでるとアトリウムに面した通路に隙間なく人が立っていました。何だろうかと思っていたら、「東方神起」がラジオの公開放送のゲストに来ることになっていたらしい。敷物を持参していた人もいたから凄い。彼らが登場するのは14:00。女性パワー恐るべし。

閑話休題。全然関係ありませんが、最近聞いた話です。

在札の某野球球団のエースが、僕が関わったマンションに住んでいるそうです。最上階だから19階に住んでいることになります。びっくりしました。設計担当した某課長はサインをもらおうといきこんでいました。(僕はへそ曲がりなのでこういうことができないのですが。)いや、本当にびっくりです。

2008年4月27日 (日)

勉強

世間はGWだというのに僕は4月の学力テストが近づいているので家にこもって勉強しています。まるで高校生のようです。

僕は昔から決して勉強ができる方ではなかったので、色々勉強の仕方を研究していました。(勉強の中身ではなく、手法である点がポイント!)ようやっと最近になって勉強のやり方に開眼しました。(決して遅いということは言わないでください)

ポイントは、自分がわからない点を明確にするということです。誰でもやってるんじゃないのと言う声が聞こえてきそうですが、当たり前のことができれば誰も苦労しません。

まず、全体をざっと流す。これはできるだけ早いほうが良い。そうすることでできる点とできない点を選別することができ、勉強の効率化が図れます。できないところで立ち止まらずとにかく進めます。そうして、できる点は現状維持。できない点はまず基本を確立する。

基本を確立するには、自分ができそうなところまで立ち戻ることです。高校の勉強をするのに小学校までと言う思いはあるでしょうが、できないのであればトコトン戻ります。急がば回れです。できないことを隠しても意味がありません。面子や見栄というのが物事をするめるうえで一番のネックです。できるようになるまで一段一段登っていきます。

そうすることで、ずっと長く続いたトンネルから出たときのような開放感を得られます。できないことができた時の気持ちは、勉強を続ける上でのモチベーションの維持に繋がります。

とはいえ、ここまでたどり着くのに時間がかかります。そうしている間にストレスも蓄積していきます。よく目的を達するために自分の好きなものを断つ人がいますが逆効果です。余計、ストレスを貯めるだけです。ダムに溜まった水も定期的に開放してやらないと決壊するのと同じで、溜まったものは定期的に開放しないと勉強も長続きしません。自分の好きなことは時間を決めてその制限の中で楽しむのがベストだと思います。おたく評論家の岡田氏がダイエットを持続させたのも我慢しなかったからです。

勉強はモチベーションの維持がポイントだと思います。理解力の差はあれ、人間の頭がそう大きく違わないのだから、どう自分の気持ちをコントロールするのか、それが成功の鍵を握ると思います。

2008年4月21日 (月)

イタリア美術とナポレオン展

昨日、札幌芸術の森で開催中の展覧会に出かけました。

先月、行ったエジプト展と違い、人出がまばらだったので落ち着いて観賞することができました。(こちらが美術展の本来の姿なのだが)

展示は、フランスの皇帝ナポレオンの叔父であるジョゼフ・フェッシュ枢機卿の収集した15~18世紀のイタリア美術です。日本がとちがいとても構図が立体的で絵に奥行きがあるのが印象的でした。また20世紀の抽象画と異なり、とても写実的で躍動感に溢れていました。

ヨーロッパと日本では闇に対する考えが異なっており、ヨーロッパでは克服すべく、明かりをたくさん灯すのが一般的。夜が比較的長い北欧を中心としてヨーロッパでは照明のデザインが大変進んでいることらからも窺い知ることができます。一方、日本では、明と暗をうまく使い分け、闇をあまりネガティブに捉えていません。むしろ、明かりを引き立たせるために暗を効果的に使っています。これらは、西洋では自然と言いうのは人間が克服するものであるという考えであるのに対し、日本ではうまく共存するという考えであることに根ざしていると思います。

そういったことが、今回の展示からもはっきり判ったような気がします。西洋画の黒の効果的使い方、恐怖や強大な力というものを際立たせてる作品がかなりあったように思います。

2008年4月16日 (水)

縦割り

縦割り行政なんていう言葉に代表されるように、組織化が進むと部署の利害を追求することに躍起になって、物事の本質を見失っているように思います。行政であれ、民間であれ組織化されているのは生活の向上を目指し、物事を効率化するためではなかったのかなあと思います。

組織が縦割りになり部署間が対立するのは、お互いの実情をよく分からない、つまり、コミュニケーションが不足し、他部署の情報が欠落していること。そして、自分は門外漢であるにも関わらず、自分の専門外のことは居直って理解する努力を怠っているからではないのかと思います。(これは仕事だけではないと思うけど)

サッカーで言えば、FWだけ先走ってオーバーラップをかけても、MFとの連携がうまくいっていなければ前線にはボールは回らないのと同じで、そのポジションごとの仕事を果たすのは当然として、連携をとるためのアイコンタクトが重要なのと同じだと思います。野球でも在京の某球団が各球団の4番打者を揃えても連携がうまくいかず低迷を続けていることからもコミュニケーションによる連携は、今後、一層大事だともいます。

また、仕事や生活で不公平感が生まれるのは、誰かに負担が集中しているからであり、これも縦割りの温床だと思っています。専門分野ごとに組織化することは一見すると効率が良い様に思いますが、見かけ上みんな同じ仕事をしているようなので一人ぐらいサボっていてもそれが外部に対して表面化しないこと、部署内で色んな人の手に触れられるので誰の責任でそれを行ったのがわからない、つまり、仕事に個性が失われていくので、自覚が希薄化するなどの弊害により、かえって効率が悪くなっているように思います。

これ他の対策としては、

1.既存の専門分野ごとの組織を撤廃し、グループ制を敷き原則独立採算とする。具体的には、組織内に小さな組織をつくりることで、各自の仕事に対する自覚を促すと同時に、モチベーションの向上を図る。自分で動かせる範囲が広くなれば、努力した分の戻りは明確化される。(実際は簡単ではないと思うけど)

2.給与体系も含めて独立採算にすることで、各自の成績が明確化することになる。これはモチベーションの向上とともに、経費の節約に繋がる。

等が挙げられると思います。ただ問題点がないわけではありません。これらは、個人の権限を大きくするもので、それに伴い個人に過大な努力を強いることになります。(努力しないと淘汰されてしまうので、今までの日本の企業のあり方に浸かっていた人には辛いでしょう。決して楽できるものではありませんから)

実はこれらは、僕の専門である建築を考えているうちに思いついたことなんですが、それらとの関連はまた追々。

ただ言えるのは、日本と言う社会は個人の権限の拡大を叫びながら、個人が劣化してきているように思えてなりません。他人の努力を平気で横から奪い取って楽をしている人が増えているようで僕は、この流れが嫌です。給料が上がらないと嘆く前に、自分はコストを下げるために何をしたかを考えて欲しいと思います。下請けや立場の弱い者の給料をダンピングして、自分達の生活は安泰だと言うことは僕にはできないことです。

2008年4月13日 (日)

春の足跡

今日は、学校から戻ってから午後1時間ほど、バイクで長沼方面を流してきました。風がなかったので大丈夫かなあと思ったのですが、やはりまだ春です。少し寒かった。

市街地を出て、農業地帯を走っているとヘルメットごしに何かぶつかっているパチパチという音がしました。そうです。「虫」です。ゲェッと思いつつ、春は着実に来てるんだなあと感じました。

Img_1185s

どこで働いてるのかな?

30歳前後の人たちはどこで働いているのかなあと思うことがあります。あまりに漠然としてますが。

僕の職場では、僕と同じ歳の人はいなし、歳の近い人は1,2人くらいです。100人以上いるのに、その多くは50代後半か、40歳前後です。20代前半の人が少し増えたかなあという感じです。

ぼくらの世代は、団塊ジュニア世代ほど多いわけではないけど、それなりには多かったはずです。どこに行ったのかなあと思います。昔から付き合いのあった人でも最近、音信不通で、どこで何をしているのかわからない人が多いです。寂しい限りですが。

2008年4月12日 (土)

久々に・・・

今日は久々にむしゃくしゃしました。(いつも文句を言っている印象があるかもしれませんが、実はそんなに頭にきてないんです。ただ一言?言いたいだけです)

仔細は愚痴っぽくなるので書きませんが、眉間に指をやって怒りを抑えるのがやっとでした。人は本当に怒ると言葉がなくなるんですよね。

怒りにエネルギーを消費してしまったので今日は少しだけ勉強して寝ることにします。もう少し穏やかに過ごせると良いのですがこれも性ですね。

2008年4月10日 (木)

自ら動かぬ者

僕は、自分で動かず、人に指示するだけでふんぞり返っている人間が大嫌いです。努力しているにも関わらず方法がわからないで結果を出せないのならまだ良いのですが、やる気もなければ、自ら動こうとしないのは論ずるにも値しません。

以前、話題にした「画面をみつめる君」と仕事することになったのですが、やはり彼との会話には違和感を覚えます。手が空いているのだから自ら手を動かして検討用の模型を作れば良いのに、△△さんにお願いしようの一点張り。彼はどうも、仕事と言うのは人に仕事を振ることだと勘違いしてしまっているようです。

スタンドアローンで役に立たないものは、ネットワークに繋がっても役に立たないと僕は思います。つまり、個人の能力なり知識があるレベル以上に達し、かつ、責任を持とうとしなければ、組織化したところで意味がないということです。そりゃそうですねよね。誰かかがやるだろうから自分ひとりぐらいサボってもと10人中10人が考えれば、これはもう立派な烏合の衆です。

彼がどうなろうと僕の関知するところではないのですが、はてどうしたものかと思案中です。

2008年4月 6日 (日)

数値に置き換えること

巷に数字が溢れているのは今に始まったことではありませんが、最近では人の満足度まで客観化の大号令の下に、数値化される由。そのうち、人の生き死にまで数値化されるのではなかろうかと皮肉の一つも言いたくなる。

きちんと定義さえすれば物事を数値化することは、主観を排除できる分、正確な情報が得られやすいと思います。(定義自体は主観が入り込むので完全ではありませんが。)しかし、人の生の感情を数値化することは不可能です。例えば、今の気温がAさんにとっては暖かく感じても、Bさんにとっては寒く感じる。でも、数値上は同じと言うように、条件が同じでも感情がある限り、決して同じにはならない。

金銭的豊かさはともかくとして、人の感じる豊かさなんていうのは千差万別であり、それを万人が納得いく様に数値化することになんの意味があるのでしょう。数値つまり、データは使い手によって良くも悪くもなるわけだし、感情を無視し数値の羅列でゴリ押しした論理(昔であれば保守的な制度)は、感情の爆発によって粉砕されてきたのは歴史が証明している。そうならないこと、そして自ら汗かくことなく、データを右から左に移しただけで莫大な富が生まれる不条理が長く続かないことを願うばかりです。

そんなことを中学時代の同級生に以前、話したことがありました。残念ながら彼はとうとう僕の言っている意味を理解することなく、自説を曲げませんでした。今も彼は、感情を持った人間を相手することなく、数字と戯れているのかもしれません。可哀相だと思いますが、彼にとっては余計なお世話かもしれませんね。でも、そういう人が増えているのも事実です。

2008年4月 5日 (土)

シーズン到来

雪も融けたとはいえ、まだ風が肌寒いです。と言いつつも、街中でバイクに乗るには問題ありません。ということで、本日、2008年シーズンのバイク解禁日とすべく、店までバイクを取りに、石山通りまで行く。

シーズン到来とはいえ、今年は、土曜日の午前中に2時間くらいしか乗れないのが残念。10月の建築士試験終了後に大型二輪免許を取りに行く予定なので、その練習くらいで我慢です。

石山通りから滝野を通って、北広島経由で江別へ。8年前に亡くなったPC・無線・バイクの師匠である友人の墓参りをして今日は帰ってきました。今年も無事故で安全運転に心がけます。

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »