構いすぎること
仕事で、上司が部下の仕事に細部まで指示を出している場合がある。あまりに細かい指示をだすと部下のやる気を削ぐだけでなく、どうせまた変更させられるのだから適当にやればいいやという諦めにも似た感情が芽生えるようになる。それだけならまだしも、重要なことを伝えなくなったり、話をまともに聞かなくなったり、逆に指示がなければ何もできないなんてこともあるかもしれない。何にしても、構いすぎるのはモチベーションの上でも、個人の成長の観点からも好ましくないと思います。
それは何も仕事だけではなく、子育てなんかもそうかもしれません。危ないからと子供に一切家事をやらせないと、料理や掃除、洗濯などができない生活能力ゼロ人間が誕生したりします。僕は子育てをしていないからよくわかりませんが、伝え聞くところによると、最近の親は何でも子供の先回りをして、危険のないようにして考える力を養ったり、危機回避の学習の機会を奪っているようです。(学生時代のバイトでやっていた家庭教師先の家がそんな感じでした)親は子供より早く死ぬわけですし、いつまでも子供の面倒を見れるわけではない。ましてや子供に常にくっついて学校に行くわけにもいかないのだから、親がいなくても一人で考え行動できるようにするのが親の勤めだと思います。ましてや、子供は親の所有物ではない。未熟でも自分で判断して行動するもの。大きく間違いを犯したときは軌道修正してあげるけど、そうでないなら、できるだけ子供の意見を尊重してあげてもいいように思います。相手に怪我をさせなければ殴り合いのケンカも大いに結構。むしろ素手で殴るからこそ人の痛みがわかるようになると思います。昔のアニメでオヤジにも殴られたことないのにという台詞がありましたが、人は殴られて成長するものだと思います。(暴力を肯定しているわけではありません。むしろ暴力は嫌いです。某○塚ヨットスクールの教育方針には賛同しかねるし。だから、道1区から出馬予定の某氏は絶対当選させてはいけない。彼はこのヨットスクールの出身者で○塚氏の信奉者である。話はそれましたが)
何にしても、人を成長させようと思ったら、方向性だけ示して任せることだと思います。構いすぎることはあらゆる面からマイナスの効果しかないと考えます。
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