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2009年2月

2009年2月26日 (木)

いい買い物

ひさしぶりにいい買物をしました。筆入れです。

今使っているのが古くて破けてきています。なんせ2003年から6年近く使っているもので。前々から欲しいと思っていたのですが、自分の欲しいものに近いものがなかなかなく、替えられずにいました。

昼休みに無印良品に行き、最近あたらしく売られているなかで欲しいものに近いのがあったので見に行きました。そうすると、販売価格の半分以下で売られているものがありました。買おうと思っていた物よりもいいものなので即決購入しました。ただ、レジで2000円と告げられたときに焦りました。え~、900円って表示されていたではないかー、と心で叫びつつ冷静に900円じゃないんですかと伝えると、やはり店側のミスでPOSに値引きの値段が打ち込まれていないだけでした。

僕が欲しかった筆入れは、価格が1000円以内で、自立するもの。大き過ぎず、適度な量を収容できるもの。そして、外部も内部も汚れが目立たない黒系。という物です。なかなか自立するものがなく、お金をもっと出せればあるのですが希望のものを探すのはかなり大変でした。それだけに今日は本当にいい買物をしました。

学校の統廃合

先日、新聞の地方欄の記事として札幌の厚別区と南区の某地区の小学校の統廃合についての記事が載っていました。どちらの地区も昭和40年代に団地造成が行われ札幌市内の住宅地でも高齢者の割合が高い地区です。

少子高齢化の昨今。財政の厳しい中、子供が多かった時代の規模を保つことが困難なことを考えると当然の帰結と思います。建物用途を学校から他の用途に移すことで、新たな雇用が生まれるでしょうし、その地区の実情にあった施設を創ることができます。

厚別区の某地区の小学校出身の僕としては、自分の母校が無くなるかも知れないのは寂しい限りです。ですが、他の施設に生まれ変わることで、求心力を失い、人口減と高齢化に苦しむこの地区の起爆剤にできれば望外の至りです。

近くにテクノパークのような最先端の工業団地があるのですから、これらとの結びつきを強め、職住一体もしくは職住近接のモデル地区にでもする事ができるはずです。これを利用しつつ魅力と活気のある地区に生まれ変わることも難しくないのですが、交通インフラがバスのみというのが辛いところです。僕が住んでいた頃は、ある程度のものはここで揃ったのですが、人口の減少とともに店も減ってしまったのが残念です。

南区の某地区もそうですが、ポテンシャルをまだ失っていません。むしろ大資本が入っていない分、札幌市の体制さえ揃えばいろんなことができる地区です。利便さや土地としての価値も重要でしょうが、安全でかつ豊かでゆとりのある生活を送るということに人々の意識が向かないかなと思います。利潤を求め経済成長一辺倒の現在の状況に対するアンチテーゼとして、最適な場所だと僕は思っています。

スーパー老人

僕の専門は建築意匠です。平たく言えば建物のデザインです。建築の学術的な専攻分野で言うと建築意匠は、歴史・意匠という分野で括られます。この意匠に近くて遠い存在に、建築計画という分野があります。建築計画とは、徹底した実測調査を経て、現在の建築の抱えている問題をどう改善するかという研究をしている分野です。今では最も一般的な建築用語になってしまった「nLDK(nは個室の数)」を生み出したのも建築計画です。なぜ、意匠と計画が近くて遠い存在かというと、意匠(建築のデザイン)というのは現在の思想の潮流をどう読み解きいかに新しい空間を創造するかを目的としています。一方、建築計画は先ほども述べましたが、現在の問題点をいかにして乗越え、建築を創るかということを目的にしています。どちらも新たな建築空間を創造し、普遍化させるという点では同じですが、お互い相容れないのです。
なぜか。それは、意匠から計画をみると調査の結果を反映しているだけで、新しくないと思っています。逆に、計画から意匠をみるとみかけは新しいけど中味は何も変わってないと思っています。傍からみてるとどちらも同じなのですが、当事者にとっては違うと思っているのはどの業界にみられることです。

前置きが長くなりましたが、その建築計画の重鎮に鈴木成文という人がいます。先ほども例にあげた「nLDK」の生みの親の1人です。僕の学生時代の研究テーマは、「集合住宅における建築家の創作」についてでした。簡単に説明すると、世の建築家が集合住宅を設計する際に何を考えて設計しているかを専門雑誌の言説から抽出し、総体として方向性を設計の思想というか方向性を探るといったものです。なので、分野は違えど、研究の参考にするために鈴木氏の著作に触れる機会は多かったのです。

この人は、東京大学教授、神戸芸術工科大学教授、同大学長を経て現在は退官されている、齢81歳の高齢者です。高齢者でありながら、Macを愛用し、ブログを更新したり、今まで漫画を読んだことも無かったのに、人に薦められ「医龍」を読みおもしろいと感想を述べたり、感覚はまるで若者です。この人を見ていると、未来に夢や希望をもてなくなった10代の若者の方が老人にみえてきます。また研究者にありがちな権威や傲慢さとは縁の無い人のようで(もっとも意匠や計画の人で権威指向の人は都市計画の研究者を除くとあまり見たことはありませんが)、社会の事象に対して柔軟に捉えながら、自分の信念を貫く姿勢には敬服するばかりです。

年を重ねると思考が硬直して柔軟に考えることが難しかったり、変化についていけなかったりすると言われていますが、鈴木氏をみているとそれはできなかった人間の言い訳のような気がします。僕も建築の設計という仕事をいつまで続けられるかわかりませんが、こういった姿勢は見習いたいと思います。

2009年2月22日 (日)

無知、無関心

人が一番憎悪するのは、誰かに何かされたこともよりもそれを見て見ぬふりをしたり、自分には関係ないことと無関心を装うことのように思います。

僕の身近にもそういう人が本当に多いなあと思います。そういった人たちの決まり文句は「わからない」とか「意味わかんない」です。最初は冗談なのかと思っていたのですが、人の気持ちがわからなかったり、自分の何気ない一言が人を傷つけているということにまったく気づいてない。それどころか自分がそのような憂き目にあったときには誰よりも激しく反応します。傍目でみていると何処まで自分に甘いんだ僕チンと言いたくなります。

誰も他人の奥底の心理まで見抜くことはできないけど、想像することはできるはず。テレビや新聞で報道されていることがいつ自分に降りかかるかなんてわかりません。僕も今は幸運にも職を失わず、健康に生活ができていますが、明日は我が身です。人の痛みや悩みに気づけない人は少なくとも人の上に立ったり、指示する立場についてはいけないと思います。

僕も子供の頃から、自分の想いとは裏腹(僕は本当は静かに過ごしたいのですが。嘘だろうと言われそうですが)に目立つ立場にいることが多かったので、我が物顔で振舞っているように思われていましたが、できるだけ人の声に耳を傾けることを心がけてきたつもりです。

社会の流れは止めようもないのかもしれませんが、少なくとも自分のまわりは無知・無関心になることのないように日々の生活を送りたいと思います。建築の仕事に関わるからということだけでなく、人と仕事していくときには「気づき」は大切ですから。

最後に、無知・無関心はなにかやる以上に罪です。

2009年2月18日 (水)

数字のマジック

案の定、酩酊大臣の話題で持ちきりです。海外でもキャスターが真似をしているとか。恥ずかしい限りです。

毎朝、めざ○しテレビを見ながら過ごしています。毎日、様々なアンケートを街中で実施しているようです。最近そのアンケートにウンザリして他の局にチャンネルを変えてしまいます。また、首相の支持率や不支持率が○○%とという形で報道されます。

こういった数字を扱う際に大切なのがどういった母数つまり、どんな人を対象に調査したかということです。それを明らかにしないとどんな調査も信用ならないという事になります。だから、街中でとか、国民はと一概に言われても本当なのかという気持ちになります。

ある一定の母集団の意見や考えが、あたかも全体がそう考えているかのように報道されることに常に危惧を抱きます。調査を実施している者の意思によって調査結果が捻じ曲げられている可能性があるので、こういった調査を鵜呑みにできないと思います。それだけに、報道やテレビの怖さを感じます。

少し違いますが、多数決というのもそれに近い怖さがあります。なんせ、色んな意見があっても全体の半数を1%でも超えれば、それが総意になってしまう。僕の場合、昔のトラウマが多数決嫌いを助長しているのですが。なんせ、学級裁判の被告にされたことが何度もあるので・・・。

なんにせよ、数字というのは客観的であるという点で、これほどわかりやすいものはありません。しかしながら、その数字の後ろに隠された色々な真実がわからなくなる、また細部が表に出てこなくなるという意味で由々しきことだと思います。

2009年2月16日 (月)

帰り道

テレビやネットでは、某国の財務大臣がろれつの回らない醜態をさらしておりましたが、風邪をひいているのに薬はともかく、酒を飲むなど言語道断。薬を飲んでいるのに酒を飲むなど正気の沙汰とは思えない。政治家である以前に社会人として失格です。さらにいつものことながら、日本のマスコミはここぞとばかりにフィバー状態。100年に一度の大不況はどこ吹く風ということなのでしょうか。政治家もマスコミも危機感が足りないとしか思えません。

さて、今日は仕事の帰りJRではなく地下鉄で帰ってきました。夜になるとJRの本数が少なくなるので地下鉄で帰ることがあります。新札幌から自宅まで40分かけて歩きます。

今日は僕の母校の中学を経由して帰りました。普段、車で通るのですが、歩いてかつての通学路を歩くのはかなり久しぶり。ご存知の人もいると思いますが、僕の中学の校区は戸建住宅や分譲マンションの多い地域なので景観はほとんどかわってません。懐かしいとまでいきませんが、たかだか20分くらいの通学時間をかつては長いと思っていたのかなあと考えながら歩いていました。これだけ変化の多い時代なのに街並みが変わらないというのは珍しいのかもしれません。

2009年2月12日 (木)

札幌の百貨店

今日も休日出勤でした。街は雪祭りの最終日で騒がしかったですが、例年よりも人が少ないような気がします。いつもだったら大通を南北方向に横切るのに苦労するのですが、人並みが途切れるので今年は楽です。

さて、先日、北海道新聞のトップに大丸が札幌の百貨店で売り上げが一番になったことが記事になっていました。丸井今井の破綻の前後だっただけに、札幌の商業の中心が札幌駅前に移ったことを数字の上でも証明する結果になってしまいました。

僕も仕事柄、札幌の商業施設の提案に関わることがあります。いつ実現することになるかわからない極秘計画なので詳細を話せないのが残念ですが、それだけに札幌の商業施設の動向や具体的な情報に触れる機会が多いです。なぜ、大丸が札幌一の売り上げを誇るようになったかというと、

①札幌駅に直結し、外にでることなく目的の場所に行ける。また、JRの駅直結ということで、地方の客層も取り込むことに成功した。

②市街地でありながら、大量の駐車台数を確保できた。東京、大阪、名古屋の三大都市圏と違い札幌は、気軽に車で百貨店に行くことができるのでこれは大きい。さらに、ステラプレイスやエスタの駐車台数と合わせると、中心部では最強です。他の追随を許しません。その意味では、撤退も囁かれる札幌西武は駐車場が離れたところにあるのが致命的です。

③新しさが功を奏した、ゆったりとした空間構成。高い階高、天井高はもちろん、通路幅の大きさは市内最強です。視界がきくので心理的にも広さを感じさせ、ゆっくりと買い物をすることができます。そういった観点からすると丸井今井は、古い設計思想で建物が考えられているのでどうあがいても広い空間を確保できず、建物の古さが設備の更新の難しさを助長しています。

以上3点が挙げられます。僕は経済は専門外なのでマーケティングの面は詳しくかけませんが、大丸の場合、在庫を保管してあるバックヤードを各階にかなり大きく取っているらしく、在庫の確認が早いということも成功の理由の一つのようです。

大丸を上回る売り上げを達成するには、これらの立地条件と建物の新しさを上回る以外に難しいと思われるので、大丸の一人勝ちは続くのだろうと思います。

2009年2月 8日 (日)

パラダイムシフト

最近、残業や休日出勤で物事を整理したり考えたりする時間がないので、なかなかブログが書けません。

アメリカ発の金融危機で、不況の真っ最中で、僕の所属する建築業界も大変です。(もっとも建築業界の不況は、金融危機とは別に建築基準法の改正による官製不況ですが)

今回の不況、とにかく自動車や電化製品が売れない。これはアメリカに見られる大量生産、大量消費の時代の終焉なのだろうと思います。大量生産大量消費には物を大量に捌ける大きな市場が必要ですが、もはや世界の各地に物が行き渡ってしまい、同時に大量のものを必要とすることがなくなってしまった。そうなれば造っても売れない、大量の在庫で物の値段は下がる、収益は上がらない。悪循環です。物を造って外貨を稼ぎ、稼いだ金で海外のものを買ってきた日本では内需の拡大に結びつかないのも当然。

経済のあり方も、雇用のあり方も、社会保障のあり方も既存の制度では、多様な価値や考えを支えることはできない。制度疲労を立て直すとともに、人々も意識も変えなければならない。昔はこうだったとか、どこどこの国はこうだったというのはもう、これからの日本では通用しない。世界の先進国はどこも高齢化で大変だけど、日本のようにこんな歪な年齢構成の国はない。独自の方法論を構築し、実現する以外日本独自の問題を解決する道は無いのだろうと思います。

原理原則に縛られること無く、現状を認識把握し、柔軟に行動することが急務だと思います。社会に変革をもたらすには個人が変わる以外に無いのだろうと思います。

2009年2月 2日 (月)

国立大の競争倍率

先日、国立大入試の2次試験の中間競争倍率が新聞に載っていました。自分らが受験生だった頃に比べると随分と倍率が下がったなあと思います。倍率が下がると優秀な学生が分散してまう恐れがあるように思います。それは各大学にとって結構、由々しき事態を招くように思います。

少子化時代だというのに、新しい大学や学部ができることに常々、疑問に思っていますが、卒業のハードルがざるな日本で入学もざるになりつつあるのなら、学力の低下をどこで止めるんでしょう。

しばらく前に、母校の大学の学生と話しましたが、自分達の頃に比べても知識や教養の無さに唖然としました。なんせ本を読んでいない。だから知性も無ければ、知識の深度もないからこちらの問いかけにきちんと答えられない。あまり年寄り染みたことは言いたくないけど、バイトや遊びに精を出すのも結構だけど、無限とも思えるような学生時代の時間をもっと有効に使って欲しいなあと思います。僕はあまり本を読むのが早いわけではなかったけど、年間でいうと100冊は遠く及ばない、それでも数十冊は読んだように思います。

人と議論する知性もコミュニケーション力も乏しい。おまけに辛抱できない、自己中心的。これから社会に出る人たちはどうなるのだろうかと、少し心配。

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