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2009年3月

2009年3月29日 (日)

2009年の開幕まであとわずか

今週から4月。新年度です。新入生、新社会人にとっては緊張しつつも楽しい時期です。野球やF1も開幕シーズン。春は新しいこと尽くめで良いねすね。

Img_1413 僕も今度の土曜日から、今年のバイクシーズンの開幕です。今年は10年近く使ったヘルメットにかわり新しいのを新調しました。新調するのは来年にしようと思っていたのですが、車検が思っていたよりも安く済んだことだし、セールで安く売っていたので奮発しました。今年も秋に建築士の試験があるので、休みは常にフリーとはいきませんが、事故をおこさないようにほどほどに楽しもうと思います。

アニメと実写

僕は昔から、アニメや実写に関わらず映像作品が好きです。

アニメであれば、世界観をゼロから作らなければならないので、全てを意図的に創らなければなりません。(そういった点では建築を新築する感覚に似てるかもしれません。)だから、そこには作り手の趣向や意図が必ず見え隠れします。そういったところがアニメを見てる上でおもしろいですね。

一方、実写は、常に現在という時間軸が基本になります。世界観をゼロから作るわけにいかない。でもその不自由の中に、その不自由さを乗り越えようとする知恵があったり、作り手の無意識が垣間見えたりするのは面白いですね(それが作家性ですね)。服装や髪型から世相を読み取るのもおもしろい。

もっとも、CGの発達でアニメと実写の境は曖昧になってきました。それぞれのらしい表現というのはなくなりつつあります。技術が発達するのは好ましいことですが、物事がフラット化して均質的になるのは嫌なものです。

みなみけ

講談社刊、週刊ヤングマガジン隔号連載中、桜庭コハル原作のアニメ化作品。現在、放送中は、「みなみけ おかえり」ですが、昨年「みなみけ」、「みなみけ~おかわり~」を放送。

南春香(高校生)、南夏奈(中学生)、南千秋(小学生)の南家3姉妹の日常を淡々と描いている作品です。

「マリア様がみてる」や「とらドラ!」とは違い、丁寧な心情表現は全く無い、純粋な娯楽として楽しめます。さすが漫画を原作としているだけあって、漫画は娯楽である地でいくような作品です。たとえるなら、ドリフのコントのような、設定条件なんか関係ない、一見さんでも笑い転げられるような、気軽さがいい。

一癖も二癖もある登場人物たちの話のかみ合わないバラバラぶりは、見ていて本当に面白い。南家にはなぜ親がいないのか?なぜ、3人姉妹だけでマンションに住んでいるのか?この男児はなぜ南家にくると女装するのかなど?最近のアニメ作品に多くみられう細かい設定や状況がないのが本当にいい。

とらドラ!

電撃文庫刊、竹内ゆゆこ原作のアニメ。恋愛や家族関係で悩む主人子達の学園ラブコメディ。いわゆるライトノベルのアニメ化作品です。

顔は怖いが面倒見の良い高須竜児と人形のような姿とは裏腹に凶暴な逢坂大河の二人を中心として話がすすんでいく。「マリア様がみてる」とは逆に、極端な人物設定が面白い。一方で、登場人物の内面、思春期の高校生がもつ不安定な心情を丁寧に描いているのがよいと思います。表に現れる顔とちがう時折垣間見せる本音。見ていて、高校時代を懐かしく思いました。こういった作品は、オンタイムの高校生よりも、少しはなれた世代の方が案外、共感が持てるのかもしれません。

それにしても最近のライトノベルは(原作の雰囲気を変えずにアニメ化しているのだとすればですが)、登場人物の心情表現はうまいですね。

2009年3月24日 (火)

マリア様がみてる(修正)

コバルト文庫刊行、今野緒雪 原作のアニメ。私立「リリアン女学園」高等部を舞台に、「スール」制度と山百合会という生徒会を軸にした学園ドラマです。

スール(姉妹)制度というのは、学園生活を円滑に過ごすために上級生が下級生を指導するもので、姉妹の約束を結ぶことは「特別に親しい関係」であることの証である。このスールは対になるもので複数の関係を持つことはできない。

山百合会は、一般的な学校では生徒会執行部と呼ばれているものである。この学校の特色は、紅薔薇、黄薔薇、白薔薇の3人が生徒から選出され、3人で平等して会長や会計職をこなすものである。この3人の薔薇様の妹は不文律的に時期生徒会役員ということになる。

この物語では、1年生である福沢祐巳とその姉である小笠原祥子がスールになるところか話が始まる。

とまあ、前置きが長くなりましたが、この話の面白いところは、上の二つの話し以外には特別な設定がなく、とても日常的な話だと思えるところです。三谷幸喜のシュチエーションドラマのように基本的に学園内の話であり、登場人物の関係に注視し楽しめるのが良いです。また、スールという制度が友情でもないし、かといって同性愛のような禁断ものでもないのが、物語にほどほどの緊張感を与えています。

そして、女性作家の原作ならではの豊かな心情表現がみていて心地よい。たとえば、相手の心情的な距離を表現するのに、「(くもりガラスを)そっちかも拭いてよ。でないと、このくもりは晴れないの。」というのは、なかなか男の感性からはでてこないきれいな表現だなあと思います。

また、これも女性ならではと思いますが、相手を想い過ぎての喜怒哀楽がみていて飽きないです。

学生の時、たまたま朝テレビをつけたらこの「マリア様がみてる」がやっていたので、みていたのですが、すっかりはまってしまいました。この時見たのが、セカンドシリーズで最近、4thシーズンが放映されていました。残念ながら、4thシーズンは北海道では放映されていませんでしたが、今はYouTubeなどネットで見られるので、放送とほぼ同じ時期に見られました(先週で終了)。4thシーズンは、2年生になった祐巳が、紆余曲折を経て松平瞳子という1年生を妹にするという話でした。年甲斐もなくちょっと楽しみにしてました。

コバルト文庫というと僕の中では、恋に憧れる中高生の女の子が友達同士で貸しあうものだという認識しかありませんでした。僕が中高生の時は、西村京太郎とか田中芳樹だの推理小説やSF小説そしてたまに、司馬遼太郎の歴史小説にしか興味がなかったので、勿論、女性がこういう奥の深いものを読んでいるなんて思ってもいませんでした。女の子が同世代の男の子よりもませているのも頷けるような気がします。いつぞやの「サザエさん」でも、ワカメの借りてきた少女小説を磯野家の男達が奪い合って読んでいる話がありました。その時は、男がまして大人がそんなもの読むのかなあと思っていましたが今なら判るような気がします。僕も娘ができて、こういった本を買っていたら、こっそり読んでいるかもしれません。

「マリア様がみてる」は表現の豊かさと、人物達の関係を大人の男でも楽しめる良品です。レンタルショップで借りるのが恥ずかしい人は、ネットで観賞することをおススメします。

余談ですが、この「マリア様がみてる」の原作ですが10年以上の月日をかけて全35巻でつい先日、ひとまず完結したようです。僕は原作の方は読んだことはありませんが、ある調査によるとこの作品の読者の8割が男性読者らしいのです。また、知り合いに聞いたことがあるのですが、東大に毎年、たくさんの合格者を輩出する進学校で国語ができる生徒は、コバルト文庫を読んでいる人が多いとのこと。少女小説もバカにできませんね。日本語の表現を学ぶには「村上春樹」を読むと良いのですが、彼の作品はちょっと敷居が高いので、中高生にはコバルト文庫が良いのかもしません。

2009年3月16日 (月)

BSデジタルの不具合

我家では、昨年の暮れにマンションのテレビの共同受信設備がデジタル対応になったので、デジタル放送を見ることにできるようになりました。BSもデジタル受信ができるようになったので、民放のBSも視聴できるようになりました。

残念なことに、年が明けてから、BSのみブロックノイズが酷くなり、最近は視聴できません。季節的なものかと思いしばらくほっといたのですが、全然回復する気配がありません。そこで昨日、マンションの管理人にBSデジタルの現状を認識しているか確認したのですが・・・。

最初に窓口に現れた人は、見るからにお前何しに来たんだオーラに包まれており、こちらもあまりいい気分がしなかったのですが、事務的に会話。しばらく待たされて、出てきた答えが、うちらは関係ないから業者に直接連絡してくださいとのこと。管理人が窓口になっているのだから、お客さんに直接連絡させるのは筋違いだろうというようなことを話す。すると、上司が出てきて、彼はあまりここのシステムをよく分かっていないのでと弁護。管理人から業者に連絡するということで話がつきました。しかし、たったこれだけのことでどうしてこんなに遠回りしなければならないのかと自己嫌悪。

僕は単純に、不具合があるみたいだから現状を確認して、しかるべき処置を取ってくださいと言っただけなんですけどね。職場でもそうなんですけど、ぐだぐだ言って責任を逃れをしようとしてすぐに行動しない人が多くて困ります。わからないならわからないと言って欲しいし、できないならできないで良いんです。ただ、私知りませんなんてことだけは言わないで欲しいと思います。

すこし愚痴っぽくなってしまいましたが、自分の親よりも年齢が上の人が、そういう情けない態度を取っていると、無性に腹が立つ今日この頃です。

15の春

巷では中学の卒業、高校入試合格発表のシーズンですね。

折りしも、今年は僕が中学を卒業したときと同じ暦なんですね。通常、札幌では3月15日が中学の卒業式で、その翌日が高校の合格発表です。僕が中学を卒業した時は、3月15日は日曜だったので、前日の14日が卒業式でした(まだ学校5日制ではなかったから土曜日は半ドンでしたね)。高校の合格発表は週明けだったので、落ち着かない1日を過ごすことになりました。

当時、内申点が不足していたので志望の高校を1ランク落とさなければなりませんでした。受けた高校は、中学で最後の進路相談まで知らなかった高校でした。当時は、なんとなく面白くなかったのですが、結果として良い高校生活を送れたのでよかったと思います。

そんな、高校の合格発表の当日。仲の良い友人は一人を除いて皆、志望の公立高校に入学しました。高校の合格が決まり皆、心ここにあらずのような気持ちが上ずった様子で友人の家に集まりました。突然、体格の良いAが馬になり、細身のBを背中に乗せて「ロデオ」と騒ぎ始めました。僕は当然、冷めた目でこいつらバカじゃないかと内心思っていたのですが・・・。そして、これまた突然、Aが「いてぇ~」と騒ぎ始めました。どうも足をつったらしいのです。しばらくしても一向に回復しなかったのでその日はお開きなりました。

実は、Aはこのとき足の靭帯を伸ばしてしまったのです。せっかく、高校に合格して晴れて春から通学することになったのに彼は、松葉杖で入学式を迎えることになりました。なぜ、怪我をしたか人に聞かれても答えに窮したのは言うまでもありません。

それからもう10年以上経つんですね。時が経つのは本当に早い。

2009年3月 8日 (日)

余白

今日は久しぶりに何もない休みを迎えられました。さすがに半月もまともに休みがないと辛いです。

最近、法律がどうとか規則がどうとかと何か起きたわけではないのに責任を問われることを避けるために大騒ぎすることが多いように思います。正直、うんざりしてしまいますが、建築関係に関して言えば、どんぶり勘定のつけが今になったきたわけです。もちろん、僕らの責任ではなく、偉大な先達の置き土産ですが、そういった業界に身を置いている上、信用回復するべく努力するのみです。

これだけ規則が多くなると、物事を決める上で選択の余地がなくなってしまいます。また、融資を受ける上でも、満たしていなければならない規定も多くなります。規則で決まっているのだから仕方が無いといって創造や思考の余白を削らなければならないのは、非常に残念なことです。

個性やアイデンティティというのは、いかにその余白つまり、物事を自由にかつ柔軟に対応するだけの余裕をつくりだすかということだと思います。効率が良いからだとか無駄をなくすといって、紙面一杯に情報を盛り込むような最近の状況は良くないなあと思います。

無印良品のポスターがいいなあと思うのは、情報は必要最小限で写真の持つ雰囲気で情報を伝えようとする点です。そうすることで、情報を受ける側はいろいろな受け取りができる余地を創ることができると思います。

たまに、ラジオドラマを聴きます。ラジオドラマも音声という限られた媒体で、雰囲気や感情を伝えます。視覚情報が一切無いことで、聴衆の想像力を掻き立てることができます。そうすることで、テレビドラマ以上に物語に奥行感を出すことができるようになります。

いずれにせよ、情報過多であればあるほど生活が均質化していき、生活に奥行が無くなっていくように思います。現在の状況がどうであれ、「余白」のあること忘れたくないものです。

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